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電車で九州一周旅行記【後編】

前記事(電車で九州一周旅行記【前編】)の続きです。前記事では主に、福岡・大分・佐賀の3つの県を旅した内容を書きましたので、今回は長崎・鹿児島・宮崎(あとちょっと熊本)を旅した記録を書きます。それではいきましょー。

 

 

【4日目・2月26日(火曜日)】長崎→島原→熊本→鹿児島

朝9時頃、目を覚ましてスマホを触った途端、顔が引きつった。明らかにスマホのインターネット接続速度が遅いのだ。九州一周旅行のちょうど中盤に差し掛かったところで、ついに通信制限にかかってしまったのである。よりによって、一番移動がややこしい長崎で。最悪。急いで身支度を整え、公共スペースのWi-Fiを利用しながら当日のスケジュールを立てることにした。

元々、島原・天草の乱に関係する観光地を巡る予定だったのだが、どうも調べてみると、公共交通機関だけでは相当回りにくいらしい。そこで、予定を変更し、この日は長崎市内の著名な観光地だけを巡り、そのあと島原(長崎県)の「多比良港」から熊本県北部の「長洲港」までフェリーで移動したうえで、長洲駅から熊本駅を経由して新幹線で一気に鹿児島中央駅に移動することにした(前編で書いた通り、熊本県には4年前に訪れたことがあるので、今回はスキップすることにしている)。下のGoogleマップで表示しているように、九州の左半分を距離にして300キロ近く一気に南下するわけだから、相当大変だ。 

移動ルートを決定したら徒歩で回れる長崎市内の観光名所と名物料理を検索し、簡単なスケジュールを作成してカプセルホテルを後にした。

 

宿を出てすぐに向かったのは、長崎で有名なカステラ屋さんの「松翁堂」。朝ごはんにカステラでも食べようと、Googleマップの現在地付近で「カステラ」と検索していたらヒットしたところだ。なんでも、この松翁堂は「桃カステラ」というカステラが有名らしい。全く目にしたことがないのでGoogle先生に聞いてみると、桃カステラ長崎県内でしか食べることができないらしい(と言いつつ後日宮崎でも同じものを見た)。さっそく購入した(700円)。実際はこの日の夜に食べたのだが、下の画像がその桃カステラである。桃をかたどっている部分は全てシュガーコーティングなので、死ぬほど甘い(桃の味はしない)。「ゲロ甘い」という表現以外で形容しがたい味だったが、小腹がすいているときには最適のおやつだと思う。多分朝ごはんには向いていない。

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長崎名物「松翁堂」の桃カステラ

 

桃カステラを購入した後は、そのまま歩いてすぐの場所にある長崎新地中華街に向かった。ただ、10時半頃に向かったのがどうも早すぎたようで、どのお店も開店しておらず、通りも閑散としていた。大通りに置いてあった看板を見てみると、どうやら2月19日まで「ランタンフェスティバル」をしていたらしい。通りの先にあった公園では、そのランタンフェスティバルの解体作業をしていた。

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長崎新地中華街

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ビックリするほどガラガラ

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日本っぽくない風景が見られるのが、長崎の良いところ

 

さて次の目的地は、長崎名物のちゃんぽん麺である。こちらもGoogle先生に尋ねてみると、大浦天主堂のそばにある「四海楼」さんがちゃんぽん麺の発祥だそうだ。ちょうど大浦天主堂に行きたいと思っていたところだったので、さっそく歩いてその四海楼に向かった。現地に到着したのは11時ごろ。四海楼は11時半からしか開いていないらしいので、周辺で適当に時間をつぶした。そのとき近くで周辺の観光スポットを示した看板を見つけたのだが、ここから徒歩圏内に大浦天主堂からグラバー園オランダ坂など著名な観光地が集まっているらしい。超ラッキーだ(あと写真見れば分かるが、ガチ快晴)。

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四海楼の近くで見た観光者向け看板

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すぐ目の前は海

適当に周辺をブラブラしていると11時15分くらいになったので四海楼の前まで歩いてみると、平日であるにもかかわらず、既に入り口の前に10組ほど客が並んでいる。これはヤバいと思って急いで最後尾についた。ちなみに今回の九州旅行で僕が列に並んだのは、これが最初で最後である。平日パワーすごい。

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四海楼の外観(でかい)

11時半になると、店内の5階に案内された。並んではいたがそれもかなり前の方だったようで、難なくテーブルにつくことができた。しかも、長崎市を見渡せる窓近くの席だ。なんか運良すぎないか?と思いつつ、四海楼名物のちゃんぽん麺とゴマ団子、杏仁豆腐を注文した(合計2000円弱)。皿うどんも有名らしいが、さすがにちゃんぽん麺と皿うどんの2つを一度に食べることができるほどデブではないので、諦めた。複数人で旅行していればこういうときに料理をシェアできるのだが、仕方がない。

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長崎市を見渡せる展望レストラン

注文して料理が運ばれてくる間にも、どんどん店内に客が増えていく。11時半ピッタリに来ていたら、恐らく30分以上は待たされていただろうと思うほどだった。よかった。そうこうしていると、注文したちゃんぽん麺が届いた。下の画像で見ると少し小さく見えるが、ボリュームはしっかりしている(特に具が豊富!)。特に良かったのがスープで、さすがちゃんぽん麺発祥の地だなぁと思わされる、深みのある味だった。何を言っているか分からないと思うが、僕に食レポは期待しないで欲しい。デザートのゴマ団子も杏仁豆腐もとても美味しかった。もう昼の時点で満足してしまった。

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元祖ちゃんぽん麺

 

おなか一杯になったところで、四海楼を後にした。次に、先程看板で見かけた大浦天主堂に移動する。徒歩5分で到着した。さっそく入り口で入館料(1000円)を払い、中に入る。相当個人的な話になるが、学部時代に受講した講義でブックレポートに指定されていた遠藤周作の『死海のほとり』を読んでから、遠藤周作の作品がとても好きになった。遠藤周作は日本人とキリスト教をテーマにいくつか作品を書いており、ついこの間マーティン・スコセッシ監督によって映画化された『沈黙』に代表されるように、いくつかの作品では長崎が舞台となっている。で、その遠藤周作の作品に『女の一生』という小説があるのだが、その内の一編がまさにこの大浦天主堂を舞台にしたものなのだ。それもあって、昔からこの大浦天主堂に行ってみたいと思っていた。

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大浦天主堂の外観

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「信徒発見」を模したレリーフ

この大浦天主堂は、幕末の日本で長崎の隠れキリシタンが発見された場所として有名である(いわゆる信徒発見)。教会内や協会に隣接するキリシタン博物館では、この信徒発見や二十六聖人殉教についての説明がなされている。どちらについても関心が深かったので、吉野ケ里遺跡と同じように、周りの観光客が15分くらいで大浦天主堂を出ていくところ1時間半ほどかけて展示を見て回った。時間はかけたのだが、館内撮影禁止だったので、残念ながら写真はほとんどない。

 

大浦天主堂を見て回った後は、そのすぐ隣にあるグラバー園に向かった。さすが全国的に知名度のある観光地とあって、グラバー園は他の観光地よりも観光客(ただしほとんど外国人)が多かった。ゲートで入場料(610円)を払って少し進むと、目の前には野外エスカレーターが設置されている。ほとんどの建物が急な坂の上にあるため、エスカレーターでないと移動が大変なのだ。とても便利なのだが、前に並んでいた家族連れの子供が下の僕の方に転がり落ちそうになって、若干怖かった(大人でもちょっとバランスとりにくい)。エスカレーターを使って上に辿り着くと、前日の唐津城同様、天気が最高だったので素晴らしい景色を見ることができた。

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グラバー園からの眺め

園内には、有名なグラバー邸をはじめとして、たくさんの洋館と綺麗に整えられた庭園が並んでいる。もっとも、そのグラバー邸は耐震工事中で見ることはできなかった。さっきの中華街もそうだが、この日の長崎は修理中の場所が非常に多かったようだ(平和公園の像も修理中だったらしい)。まあ逆に考えれば、グラバー邸が修理中の姿なんてなかなか見れるものでもないだろうから、それはそれでラッキーなんじゃないだろうか。グラバー邸以外の豪華な邸宅も見ることができたし、特に不満はない。

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耐震工事中のグラバー邸

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グラバー園にある邸宅の1つ。名前は忘れた

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これもグラバー園にある邸宅の1つ。名前は忘れた

写真にあるように、グラバー邸を中心として、グラバー園の各邸宅やその庭園は綺麗に整えられ、観光客の目を楽しませている。僕も途中まで穏やかな気分でそれらを見ていたのだが、途中の邸宅の1つに掲げられていた展示に記された内容を読んで、何とも言えない気持ちになったのが強く印象に残っている。掲示の内容はグラバー園を建造したトーマス・グラバーの息子倉場富三郎(1871~1945)についてのもので、掲示そのものは記録していないものの、同様の内容がWikipediaにあったので引用しておく。

 太平洋戦争開戦後、イギリス人との混血児だった富三郎はスパイ嫌疑をかけられ、官憲の監視の下で不自由な生活を強いられた。武蔵建造の機密保持を理由にグラバー邸を退去させられたり、1943年にワカに先立たれるなど不幸な晩年を送り、更に原爆投下により故郷が壊滅した事が追い打ちとなり、終戦直後の1945年8月26日に長崎の自宅で首吊り自殺を図り、死亡した。享年74。

時代に翻弄された悲劇の人、という表現ではチープだろうか。倉場富三郎について特に何か知っているわけではないが、何故か彼に感情移入してしまい、あの掲示を見てからグラバー園を出るまでずっとモヤモヤしたままだった。

 

とまあ暗い話はここまでにしておいて、九州一周旅行に戻ろう。グラバー園を出た後、そのまま出島へと向かった。大浦天主堂しかり出島しかり、日本史の教科書に出てくる場所が徒歩圏内に密集しているのが長崎の強みだと思う。ただ、この出島、外から見る限り別に「出」ているわけでもないし、「島」であるわけでもない。細い川の岸辺の一部の建造物を全て幕末っぽくしただけのような感じだった。出島内にはオランダ領事館跡があったのだが、時間も限られていたしで、結局出島は周りを見るだけにしてさっさと長崎駅に向かった。

 

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こう見ると出島っぽいが……

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出島内のオランダ館

18時10分多比良港出発のフェリーに乗船するため、16時ちょうど長崎駅発の快速列車に乗り込んだ。諫早干拓で有名な諫早駅を経由して、島原鉄道を使って多比良駅に向かうという流れである。所要時間は1時間45分、運賃は1580円だった。多比良駅から多比良港は、大体徒歩10分ほどの距離にある。多比良港に着くとそのまま歩いて多比良港に向かい、乗車券(440円)を買ってフェリーに乗船した。やっぱりフェリーの旅は旅情があって良い。18時10分、夕焼けの雲仙岳を背に多比良港を出発した。

長洲港までのフェリーの旅は、大体45分ほど。船酔いの可能性があったので揺れを心配したのだが、ほとんど揺れを感じることもなく、快適な船旅だった。若干天気が下り坂で、日の入りを見ることができなかったのが残念だった。

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夕焼けの多比良港

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フェリーから見た雲仙岳

 

熊本県北部の長洲港に着いた頃には、外はもう真っ暗だった。Googleマップによれば長洲港から長洲駅までは、大体徒歩で30分ほど。全く土地勘のない長洲の街を、通信制限にかかって瀕死のGoogleマップを頼りに歩いた。Googleマップが指し示す通りの道を30分歩いていると、無事長洲駅に辿り着くことができた。通信制限にかかっていても、意外と何とかなるものだと今後の旅についての不安が若干軽くなった。

長洲駅からは前述の通り、熊本駅まで鈍行で移動し、そこから新幹線で鹿児島中央駅を目指す長距離移動(乗換案内アプリによれば、距離にして207キロ)の旅になる。全部鈍行を使っても良かったのだが、5時間以上かかって時間が無駄な気がしたので、2時間程度で鹿児島まで移動できる新幹線を使うことにした。どうせだから、事前に2枚準備していた学割証の1枚を使えばいいかとの算段である。通常運賃であれば7170円かかるところを、6000円ちょっとで済ますことができた。そこからは電車に揺られるだけでいいし、鹿児島までの新幹線のWi-Fiを使って宿の予約をすればいいか———と軽く思っていたが、この考えは非常に甘かった。

 

熊本県に着いた後、どうせならと熊本駅内のラーメン屋で熊本ラーメン(900円)を食べた。半チャー付きにしたが、チャーハンは無しでも良かった(ラーメンは美味しかったです)。

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熊本駅内のラーメン屋で食べた熊本ラーメン

腹も十分ふくれた後、鹿児島中央駅前のカプセルホテルを検索した。……が、なぜかどのカプセルホテルも予約を受け付けていない。時間(21時ごろ)が遅いからか?と疑ってみるものの、前日までは普通に同時間帯でも予約が取れていたので、そんなことはないはずである。ヤバイヤバイと思いながら、検索を続ける。しかし、ここで通信制限が足を引っ張る。全くスムーズに検索できない。新幹線の出発時刻が迫っていたので、急いで荷物をまとめて熊本駅のホームに移動した。土曜に乗った博多駅行きの新幹線ではWi-Fiもつかえていたし、新幹線内のWi-Fiを使えば検索も楽になるだろうと考えたのだ。しかしこの考えは甘かった。新幹線に乗って分かったのだが、どうやら九州新幹線ではWi-Fiが飛んでいないらしい。一気に僕の顔から表情が消えた。

仕方ないので車内で宿泊先を検索するが、通信制限のかかったスマホではなかなか検索結果が表示されない。さらに運の悪いことに、熊本-鹿児島中央間の路線はトンネルが多いらしく、何度も圏外になった。検索するには全く向いていない状況だったわけだ。もう後半はあきらめて不貞寝した。どうせ鹿児島中央駅に行けば、Wi‐Fiが飛んでいるだろうとの魂胆だ。しかし、この目論見も外れることになる。鹿児島中央駅に、Wi‐Fiは飛んでいなかった。2日前に佐賀のカプセルホテルで考えたフレーズが脳裏に蘇ってくる。「このご時世あり得んだろ」。

ということでカプセルホテルは諦め、ビジネスホテルに宿泊することに決めた。接続状況の非常に悪いスマホで検索した結果、鹿児島中央駅からすぐの東横インの一室(4600円)が空いているらしい。すぐさま予約を入れ、ホテルに向かった。夜12時前だった。この日は(主に精神的に)疲れてヘロヘロだったので、シャワーを浴びてすぐに寝ることにした。今後の旅が思いやられた。

 

出費:大体17800円(78830円)

 

【5日目・2月27日(水)】鹿児島→宮崎

この日は事前予定では九州旅行最終日。天気予報によれば、午後から天気が下り坂で、夜には雨が降り始めるらしい。これまで晴天に恵まれ続けていたので、ようやく来たか、と思った。雨の中観光するのはごめんだったので、雨が降り始めるまでに鹿児島駅に向かい、そのまま電車で宮崎市に向かってフェリーで神戸に戻る計画を立てた。このとき、ちゃんとフェリーの出向時間とその時間に間に合う電車を確認していなかったことが、今回の九州旅行最大の失敗となる。

 

10時前にチェックアウトを済ませた後、路面電車に乗り込み、西郷隆盛像がすぐそばに位置する朝日通駅に向かった。鹿児島市内の路面電車は運賃が170円だ(なお、長崎の路面電車は運賃120円)。初乗り料金が日本で一番高い京都市営地下鉄や運転のクソ荒い京都市営バスを普段利用している身からすると、本当に良心的な価格設定だなと感心する。話を戻して、駅から数分歩くとすぐに西郷隆盛像が見えた。東京の西郷隆盛像は浴衣で犬を連れているが、鹿児島の西郷隆盛像は軍服姿だ。心なしか凛々しく見える。

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西郷隆盛

 

西郷隆盛像を見た後は、そのちょうど裏手にある「城山展望台」へと向かった。この展望台からは、鹿児島市内と桜島が一望できるらしい。西郷像から10分ほど歩いたところに登山口があって、そこから遊歩道を進んだ。当然、展望台であるから、山道を徒歩で登っていくわけである。グラバー園唐津城のように、エレベーター・エスカレーターがあるわけではない。息を切らしながら1キロほどの山道を登り続け、20分ほどでようやく展望台に辿り着くことができた。普段歩かない人間にとってなかなか大変な道のりだったが、とても良い景色を見ることができた。

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城山展望台から見た鹿児島市内と桜島

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意外と栄えている鹿児島市

先程述べたように、天気が下り坂だったため、最高の桜島を見ることができたわけではないが、噴火活動を続けている火山をこれまでに見たことが無かったので、とても興奮した。あと、展望台に吹いている風がとても心地よかった。

 

城山展望台を降りた後は、展望台のふもとにある黎明館(歴史博物館)を訪れた。ここまで読んでいれば十分わかると思うが、僕はこういった歴史的資料を見るのがとても好きなので、ワクワクしながらこの黎明館の門をくぐった。すると、どうも館内が異常に空いている。人がまばらというか、観光客は片手で数える程度しかいない。いくら平日とはいえ、そんなことはないだろうと思って入館料を支払おうとすると、スタッフから「1階から3階まである展示場のうち、修理のため現在2階部分のみしかご覧いただけませんが、それでもよろしいでしょうか?」と聞かれた。長崎の中華街・グラバー邸に続き、3つ目の修理工事である。こんなことあるのか。

とはいえここで帰るのは違うので、2階部分だけでも見ていった。なぜか学生は大人料金ではないらしく、学生証を見せたら190円で入館できた。ずいぶん安い。閲覧可能な資料は、主に民俗関係のものと、鹿児島にゆかりのある人物の歴史的文書だった。印象に残っているのは、教科書・資料集にも載っている征韓論の錦絵だろうか。歴史資料の大半は修理中の1階にあったらしく、めちゃくちゃ悔しかったが、せっかくなので他の民族コーナーなども1時間以上かけて見て回った。また次来た際に見たい。

 

黎明館を出た後は、Googleマップ上に表示されていた「ザビエル公園」というよく分からない場所に行った。実際に現地に行ってみると、まあまあしっかりしたザビエルの銅像が設置してあり、少し得をした気分になった。多分ここ、ほとんどの人が素通りしているんじゃないだろうか。

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ザビエル公園(中央がザビエル像)

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ザビエルってこんな顔してたのか

ザビエル公園を出たら、そのまま鹿児島市の繁華街である天文館通り(大きなアーケード商店街的なやつ)に向かった。事前調べでは、昼ごはんに向いているような鹿児島の名産品は、黒豚しかなかった。ただ、黒豚のとんかつのような黒豚メインの何かを食べる気でもなかったので、もう何度目だという感じだが、ラーメンを食べることにした。天文館通りを適当に歩いていると、ラーメン屋が2件並んでいる小さな通りに出た。1軒はスープに黒豚をふんだんに使用した豚骨ラーメン、もう1軒は黒豚をチャーシューに使った老舗のラーメン。これまで相当豚骨ラーメンを食べたので、今回は後者の「こむらさき」を選んだ。ラーメン1杯900円となかなかの値段だったが、値段に見合ったおいしさだった。特に黒豚を使用したチャーシューが絶品で、誇張抜きでこれまで人生で食べてきたチャーシューの中で一番おいしかった(上に乗ってるキャベツ炒めも良いアクセントになっていて最高)。最優秀焼豚賞を授与した。

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天文館こむらさきのラーメン

ラーメンを食した後は、そのままの勢いで「むじゃき」の白くまを食べに行った(500円くらい)。この「むじゃき」は、アイスで全国的に有名な、あの白くまの発祥の地らしい。といっても、ここで提供されるのはアイスではなく、かき氷である(下画像参照)。いい歳した男が一人、カフェでこのかき氷を貪っているわけだから、周りから見るとさぞ滑稽だっただろう。しかし、一人旅3日目にもなってくると、そういった目線はほとんど気にならなくなってくるのだ。

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むじゃきの白くま

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上から見ると白熊に見えることから、白くまと名付けられたらしい

一人で白くまを食した後、天文館通りから路面電車に乗って鹿児島駅へと向かった。この鹿児島駅も修繕工事中で、もう何度目やねんと思いながら時刻表を見ると、次の電車まで1時間以上もある。ここ県庁所在地だよな?と思いながら、仕方ないのでその辺りの観光地を探す。びっくりするほど何もない。完全に鹿児島駅よりも、鹿児島中央駅の方が栄えているようだった。しかしせっかく旅行に来ているのにイスに座ってぼーっとしているのも嫌なので、Googleマップ先生に近くの観光地を尋ねてみると、どうやら2キロほど歩いたところに森有礼の生誕地があるらしい。しかたないので、歩いてそこまで向かうことにした。

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森有礼生誕地

この石碑を見に行くまでの道中、道行くトラックが何やら黒い砂埃を巻き上げているのを目にしたとき、一気にテンションが上がった。そう、桜島の火山灰である。少し前の桜島の画像を見れば分かるが、この日は完全に反対側に向かって風が吹いていたので、火山灰は確認することができなかった。でも、道路の上にはまだ少し火山灰が残っているのだ。よく足元を見てみると、ところどころ黒い砂が溜まっている場所がある。また、そこら辺の家に停まっている車を見てみると、車体全体が汚れている。繁華街ではこういった火山灰の跡は確認できなかったのだが、住宅街に出てみると、そこら中にその片鱗を見ることができるのだ。わざわざ2キロほど歩いて森有礼生誕地まで来てよかったと思った。

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後で分かったのだが、風向きが変わって火山灰がこちらに飛んできていたらしい

その後、鹿児島駅から宮崎駅行の電車に乗った(2480円)。途中、降りる予定のない国分駅で下車してしまい、追加で1時間ほど待ち時間が生じてしまうなどのハプニングを挟みながらも、3時間くらいで宮崎駅に到着した。ちなみにこの鹿児島ー宮崎区間の路線は尋常じゃないくらい縦揺れが激しく、乗り物酔いしやすい人なら顔面蒼白になるだろうなと思った。これも誇張抜きで、人生で一番揺れの激しい電車だった。

大体19時ごろに宮崎駅に到着し、いざ宮崎港フェリー乗り場へとバス停に向かったところ、いつまでたっても宮崎港行きのバスが来る気配がない。不審に思ってバスの時刻表を確認すると、なんと宮崎港行きのバスは1日に1本、しかも17時50分にしか発車しないらしい。1時間以上も前にバスは出ていたのだ。後で確認してみると、宮崎発神戸行きのフェリーは19時10分にしか出港しない(勝手に22時10分だと勘違いしていた)ので、宮崎港行きのバスが1本なのは当たり前だった。

 

さて、この時点で、九州、しかも事前調べで「(電車旅する人にとって)めぼしいものは何もない」と酷評されていた宮崎県でもう一泊が確定したのである。しかも不幸なことに、鹿児島駅を出発したころから九州では雨が降り始めていた。当然傘など持っていないし、宿の予約もしていない。今まであれだけラッキーだったツケが、全て最終日に回ってきたということだろうか。

1つだけラッキーだったことは、宮崎駅内でWi‐Fiが飛んでいたことである。今までどの駅でもWi-Fiが飛んでいなかったので、本当に宮崎駅の先進性に感激した。駅で電波を拝借しながら宮崎駅付近のカプセルホテルを検索すると、佐賀県と同じく、宮崎市内にはカプセルホテルは1つしかないようだった(しかも徒歩15分の距離にある)。まあ仕方ないと思いつつ電話してみると、当日予約は現地でしかできないらしい。意味の分からないシステムに若干イラっとしながらも、雨の中の宮崎市を傘なしで突っ走ることを決心した。ただでさえ金を使いすぎている上に旅程が1日追加されたわけなので、もう傘すら買いたくなかったのだ。

極力雨に濡れないよう、街路樹の下やその辺の店の軒下を選んで1キロ以上走り回った結果、大して濡れることもなくカプセルホテルに到着することができた。息を切らしながらチェックインを済ませ(3200円)、自分のカプセルに向かうと、このカプセルホテルもまた、各カプセルにコンセントが備え付けられていないことが分かった。しかも、ホテル内の公共スペースにすら、Wi-Fiが飛んでいなかった。さらに、既に近くのカプセルで寝ているオッサンが豪快なイビキを立てている。終わってんなと思いながら、荷物を置いてコンビニに夕食を買いに出た。さっきより雨が強くなっていた。ホテル付近には街路樹もなかったので、今度はしっかりビショビショになってホテルまで帰った。この日の夕食はカップ麺と軽い軽食だった(300円ほど)。全体的にクソみたいなとこだなとは思ったが、併設された大浴場とサウナがまあまあ良かったので、ぐっとこらえた。スマホも死んでいるので、この日はさっさと寝た。相変わらずオッサンのイビキはうるさかったが、城山展望台を上り下りしたり、相当歩き回ったりしていた疲れもあってすぐ眠りにつくことができた。

 

出費:7740円(累計86570円)

 

【6日目・2月28日(木)】宮崎→神戸

あまり長居したくもなかったので、目が覚めるとすぐに朝風呂に入り、さっさとチェックアウトした。ホテルから出ると、昨日僕を苦しめた雨は上がっているようだった。安心した。で、前日ちゃんとした夕飯を食べおらずお腹がすいていたので、近くのうどん屋でうどんを食べた(330円)。佐賀で食べたうどんと同じく麺にコシが無く、またテンションが下がった。九州のうどんは僕に合わないようだ。

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ヤシの木の生えた宮崎市内の大通り

このとき、スマホの電波と電源を確保することが喫緊の課題だった。うどん屋で両方を確保できる施設を検索すると、近くのタリーズコーヒーWi-Fiとコンセントがあるらしい。すぐにタリーズに移動してホットコーヒーを注文し(300円強)、申し訳なさを感じつつスマホの充電をした。ついでに、宮崎市内の観光地を検索したところ、徒歩圏内とは言いにくい距離の場所に、宮崎神宮平和台公園という、まあまあ良さげな観光スポットがあることが分かった。あと、今度こそ100%フェリーに乗船できるよう、フェリー・バスの出発時間を確認し、念には念を込めてフェリー乗り場に一度行ってみることにした。

ということで、宮崎駅のすぐ隣でレンタサイクルを利用し、自転車を手に入れた(500円)。自転車があると、人間の行動範囲は一気に広がるものだ。徒歩45分の距離にあるフェリー乗り場にも、大体10分ほどで着くことができた。また、そのタイミングで乗船の予約も済ませておいた。予約を済ませた後は、先程調べた平和台公園に行くことにした。これも大体、フェリー乗り場から自転車で20分ほどの距離にあった。

 

さて、平和台公園といっても、多くの人は目にも耳にもしたことがないだろうと思う。かく言う僕も、平和台公園なんて全く知らなかった。Google先生に聞いてみたところ、平和台公園は1940年に造成された公園だそうで、その中にある「平和の塔」が有名らしい。で、その平和の塔の実際の姿がこちらである。

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平和台公園にある「平和の塔」

「平和の塔」と言うには、ずいぶん物々しい雰囲気である。全体的に色が黒いし、塔の周辺には何やら像が立っているのが見える。というより、塔そのものに、今のご時世だとかなり物議を醸しそうな四字熟語が彫ってある。「八紘一宇」。

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平和の塔に刻まれた「八紘一宇

僕は政治学専攻で日本政治を専門としているので、この四字熟語(とその歴史的背景)は知っているが、多くの日本人にとっては見慣れない四字熟語なんじゃないかと思う。先程、この平和台公園が造成されたのは1940年だと述べたが、要するにこの塔は太平洋戦争開戦前に国威発揚を目的として建てられた塔だ。もちろん、当時は「平和の塔」なんて言い方はせず、「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」と言ったらしい。で、1945年に終戦を迎えた際、この「八紘一宇」の四字熟語が軍国主義国粋主義を彷彿とさせるということで、米軍によって削除されたそうだ。「八紘一宇」の文字の周辺だけ妙に白くなっているのは、1965年になって再び復元されたからである。恐らく、コンクリートでも塗ったのだろう。ちなみに1964年の東京オリンピックの際は、この場所が聖火リレーのスタート地点(正確に言えば第二スタート地点)になったらしい。

この平和の塔の四方には、先程述べた奇妙な像が並置されている。順に、「奇御魂(くしみたま)」、「荒御魂(あらみたま)」、「和御魂(にぎみたま)」、「幸御魂(さちみたま)」と言うそうで、全て信楽焼でできている。このうち、武力のモチーフである荒御魂だけ、敗戦の際に米軍によって取り除かれたらしい。

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奇御霊(漁師らしい)

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幸御霊(農家らしい)

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和御霊(商人らしい)

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荒御魂(武人らしい)

こう見ると、荒御魂はちょっと映画の大魔神に似ている。個人的に面白かったのは、この平和の塔の礎石部分に何やら文字が刻んであること。例えば、下の画像の「北支秋山部隊本部」や「河南省前田隊」みたいに。調べてみたら、これらの礎石は当時、中国や満州の日本人団体から提供されたものだそうだ。勉強になる。

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「北支秋山部隊本部」と刻まれた礎石

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河南省前田隊」と刻まれた礎石

 

と、日本の近代史についての知識を深めていると、近くに「はにわ園」なる場所があることを示す看板が建てられていることに気が付いた。前編で述べたように、僕は日本史の中でも特に古代史が好きだ。ということで、さっそくそのはにわ園に向かって進んだ。最初に僕を出迎えてくれたのは、3体の埴輪だった。

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「踊る男」と「踊る女」

ヤバい、めちゃくちゃ面白い。順路に沿って、どんどんはにわ園の奥に進む。

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大量に埴輪が並んでいる

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一面緑の苔の上に茫然と立ち尽くす埴輪

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ラピュタ風「ひざまづく女」

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そこはかとないジブリ

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この一帯だけ、別世界に迷い込んだよう

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多分、人によってはホラーでしょうね

こんな感じで、30分くらい埴輪を楽しむことができる。苦手な人は苦手だと思うが、好きな人にはめちゃくちゃ響くと思うので、興味のある方はぜひ行ってみてほしい。ちなみに平和台公園もこのはにわ園も、無料で楽しむことができる。

あと、平和台公園にあるレストランで宮崎名物チキン南蛮を食べた(900円)。こういう施設に併設されているレストランなので、全く期待していなかったのだが、実際に食べてみるととても美味しかった。ということで、先ほど事前調べした際に「(電車旅する人にとって)宮崎駅周辺にはめぼしいものは何もない」との記述を見たと述べたが、これは全くのガセネタであると主張したい。少なくとも、この平和台公園(特にはにわ園)だけは熱烈にプッシュしたい。

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平和台公園で食べたチキン南蛮

平和台公園を出た後は、宮崎神宮へと向かった。「宮崎神宮駅」という駅があるほど、著名な観光地のようだが、正直なところあまり興味を惹かれるものはなかった。しいて言えば、神社にしては珍しい仁王像があったことくらいだろうか(他の神社では見たことがない)。下の写真を見れば分かるように、ここもほとんど人がおらず、すれ違った観光客は大学生カップル一組だけだった。

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宮崎神宮本殿への参道

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宮崎神宮本殿

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神社にしては珍しい仁王像


宮崎神宮を出た後、自転車を返しに宮崎駅に戻った。そのついでに、フェリーで食べる夕食(500円)や酔い止めの薬(700円)を購入し、さらに宮崎駅構内の土産物屋でお土産を購入した(計3000円ほど)。このときちょうど17時半ごろ。20分ほど17時50分宮崎港行きバスを待って、バスに乗り込んだ。宮崎港フェリーターミナルまでは、大体15分だった(270円)。

 

フェリーターミナルに到着すると、当日早めに予約していたこともあってスムーズに乗船できた。宮崎発神戸着のフェリーは「二等寝台」で予約しており、運賃は学割を利用して10900円だった。宮崎から新幹線を利用して関西まで帰っていると、これにあと15000円くらいプラスされてしまうので、片道約10時間とまあまあ時間がかかるとはいえ、船で帰った方が断然お得である。

先ほど述べた「二等寝台」は下の画像のような感じである。横幅80センチほど、縦幅180センチほどのベッドが自分のスペースになる。ちなみにこの別途がこの上にも1つ(要は二段ベッド)あって、1つの部屋にこの二段ベッドが合計8つある。つまり、1部屋に最大16人がひしめき合うというわけだ(当然、イビキをかくオッサンがいるので耳栓を持ち歩いた方が良い)。ちなみに画像で言えば、枕の上に小さな棚が設置されており、足元にはライトとコンセントがついている。最初からベッドに置いてあるのは、マットレスと枕、シーツ、ブランケットのみである。必要最低限の物資だけだ。歯ブラシやタオル等は、自分で持ってこなければならない。

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フェリーの二等寝台

今回の船旅における最大の懸念事項は、船酔いだった。僕は乗り物酔いに特段弱いというわけではないのだが、事前調べにおいて、太平洋航路を進むフェリーは瀬戸内海航路を進むフェリーとは比べ物にならないくらい揺れるとの情報を得ていたため、相当ビビっていた。だからわざわざ事前に酔い止めの薬まで購入したのだ。

あと、船酔いに関する情報を色々と学んだ。例えば、船が大きく揺れている間にフェリー内の風呂に入ると、船の揺れと水面の揺れが一致しないため、船酔いしにくい人間でも酔いやすいらしい。だから、これを避けるためにはフェリーが出向する前に風呂に入った方が良いそうだ(あと、単純にフェリーの風呂はクソ混む)。他にも、太平洋航路のフェリーに乗船する場合、波高3m以上になってくると船酔いする客が激増するらしい。僕がフェリーに乗った日の宮崎沖の波高は2.5mだったが、まだマシということだろう。

実際、酔い止めを飲んだおかげか、波高が所詮2.5mだったからか、疲れていてすぐに寝てしまったためか、この日の航海では船酔いせずに済んだ。それでも、波高2.5mというのはまあまあのもので、船が相当大きく揺れているのがベッドの上で寝ていても分かった(酔う人は酔うだろうな~と思った)。これだけの大きな揺れも、人生初体験だった。

 

その他、フェリーについていくつか書いておこう。先程少し触れたが、フェリーには風呂がついていることがある。今回利用したフェリーには、サウナ付きの大浴場がついていた。もちろん僕は大浴場もサウナも利用したのだが、多分今後海の上でサウナに入ることは二度とないんじゃないかと思う。貴重な体験をした。注意しなければならないのは、先ほど述べたように大浴場を利用する場合は、自分でタオルを持ってこなければならないということだ。今回、荷物を減らすためにバスタオルを持ってこなかったのだが、ここで余計な出費をすることになった。今回のフェリーでは、タオル貸出料として200円、盗難防止の保証金として300円の計500円を払うことになったのだ。ちなみに300円はタオル返却後に返ってくる(最初、使用料500円だと思っていたので最悪の気分だった)。あと、船酔いしてゲロったら全部無駄になるので僕は利用しなかったのだが、1500円払えば船内で割と豪華なビュッフェを食べることができるらしい。朝ごはんは400円だそうだ。自販機で売られている飲料品は大体、通常の1.5倍ほどの価格だった。ただの「紙コップ」を1つ100円で売っているのには笑った。

 

船内ではWi-Fiが飛んでいるが、60分を2度の使用制限がある。僕は夜に1度、朝に1度使う予定にしていたので、夜の使用制限を使い切った後、21時くらいには眠りについた。6日間の長旅の疲れがたまっていたのだろうか、船が相当揺れていたにもかかわらず翌朝6時まで一度も目が覚めなかった。

朝の6時ごろになると、到着時刻を知らせる船内放送がかかり始める。モーニングコールみたいなものだ。これで目を覚ました僕は大浴場で軽く朝風呂した後、日の出を見にデッキに出た。快晴ではなかったので、太陽が水平線から顔を出す様子を見ることはできなかったが、下の写真のように朝日が海面にオレンジ色の線を引きながらゆっくりと上昇する様子を見れてよかった。

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フェリーから見た日の出

神戸港に着いたのは朝7時半。神戸港からは神戸三宮まで210円のバスが出ているのでそれを利用し、神戸三宮からは阪急で京都まで帰った。これにて、僕の九州制覇の旅は幕を閉じた。


出費:17600円(累計104170円)

 

まとめ

正直に言えば計算したくなかったのだが、改めて計算してみると、やはり10万円を超えていたみたいだ。100キロ超の電車区間がいくつかあったので、もっと学割証を発行して持ち歩いていれば、もしかしたら10万円を切っていたのかもしれない。少なくとも、京都から博多までの新幹線をフェリーにしていれば、確実に10万円は切っていただろう(当日時間が無かったので無理な話ではある)。

 

まあ10万円がどうとかそういうのはどうでもいいのだ。今回の九州制覇の旅に10万円の価値があったか否かと問われたら、僕は間違いなくあったと答える。得たものが多すぎるくらいだ。まず、一人でこれだけの距離・日数を移動するという経験は今回が初めてだった。一人旅ゆえの利点や欠点などを理解することができたし、ある種の「耐性」が身に付いたような気がする。昔から個人行動は苦ではなかったが、昔以上に問題なくなったんじゃないだろうか。それに、何から何まで全て自分で計画し、それを実行する(もちろんそれによる失敗の責任は自分に返ってくる)という経験も、何気に始めてのことかもしれない。そう考えると、やはり今回の旅には大きな価値があったように思う。

 

と色々御託を並べたが、九州のその土地でしか食べることができない美味しい食べ物を食べ、九州のその土地でしか見ることのできない観光地を見るという経験を6日間、嫌というほど続けることができたのは僕の一生の思い出になると思う。

 

今回の前編・後編のブログは、今後僕がこの旅を思い出したいときの記録代わりに使いたいと思う。ちなみに最後まで述べなかったが、この記事は現時点で15500文字だ。前編後編合わせると23000字くらいになる。旅行記にしては長すぎると思うが、文字数の多さは、この旅への思い入れの強さを物語っているのだと思う。後半ほど文字数が増えるのも、きっと後半ほど大変だったからその分思い入れが強いということなんだろう。5年後くらいにこの記事を見返して読んだら、面白いだろうな。