ますですブログ

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ますですメモ① -プリニウス-

意味の分からないタイトルだが、今後、何か個人的に覚えておきたいことや後で振り返っておくべきことなどがあれば、備忘録として「ますですメモ」を付けたいと思う。今回は第1回なので、「ますですメモ①」だ。

 

今日は『プリニウス』という漫画を読んだ。誰かからオススメされたからとか、好きな漫画家が書いた漫画だからとか、そんな理由はない。ただ、頻繁にチェックしているWeb漫画サイトの1つで全話無料公開されていたから読んだだけだ(ちなみにここから読める→プリニウス - ヤマザキマリ/とり・みき )。こういうしょうもない理由で読んだ漫画の大半はしょうもない内容のものが多く、アタリは少ないのだが、今回は違った。シンプルに面白い漫画だったし、わざわざこうやってブログに書き留めておきたいと思えるようなセリフもあった。

 

さて、この『プリニウス』はどんな漫画かというと……

世界史上もっとも著名な博物学者にして、ローマ艦隊の司令長官。古代ローマ一の知識人にして、風呂好きの愛すべき変人。その男の名はプリニウス――。『テルマエ・ロマエ』のヤマザキマリが、最強のパートナー〝とり・みき″を迎えて、ふたたび魅惑の古代ローマ世界に挑む。圧倒的な構成と迫真の画力で2000年前の世界を描く、歴史伝奇ロマンの決定版!

らしい。全く意識していなかったが、この漫画の作者はあの『テルマエ・ロマエ』の作者のようだ。確かに言われてみれば、漫画のどこかに、東洋人を指した「これほど平たい顔の人種はいない」というセリフがあった。『テルマエ・ロマエ』を読んだことはないが、「平たい顔族」という言葉は知っている人も多いんじゃないだろうか。かく言う僕もそうだ。

 

プリニウスって誰やねんという人も多いと思うので、一応その紹介文を引用しておくと、こんな感じらしい。ちなみに僕もプリニウスって誰やねんと思った。

本名、ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(A.D.23~79年)。史上もっとも有名な博物学者。「寛容・進取・博学」と古代ローマの精神を一心に 体現する男でもある。その並外れた好奇心で、天文・地理、動植物の生態、絵画・彫刻など、森羅万象を網羅した、百科事典『博物誌』を書き遺す。ヨーロッパで『博物誌』は「古典中の古典」として知られ、後世の知識人たちに様々な影響を与えた。

 

今回僕がこうやって備忘録に残しておきたいのは、漫画そのものじゃなくその中のセリフなわけなので、漫画の紹介についてはこの辺にしておこう。興味あったら読んで。面白いし、時間無駄にした感も多分ないから。

 

僕が『プリニウス』を読んでいて「ああ、このセリフいいな」と思ったセリフは、第16話「ウニコルヌス」にある(ここで見れる→ 16.ウニコルヌス )。タイトルのウニコルヌスとは、ラテン語ユニコーンのことだが、今回のセリフには直接関係しない。セリフまでの流れと、実際のセリフは次の通り。

 

主人公プリニウスは、彼の姉が連れてきた生後間もない甥っ子と対面する。しかしプリニウスはしかめっ面で甥っ子の顔を凝視し、甥っ子を号泣させてしまう(姉曰く普段は「あまり泣かない」らしい)。さらに、号泣する赤ん坊を前に「人間の子供は弱虫である」との持論を展開し、姉や侍女からたしなめられる。その後、書記官のエウクレスから「プリニウス様は赤子がお嫌いなのですか…?」と問われると、プリニウスは次のように答えた。

いや、赤子はかわいい!

ただ、子供が立派に育つのは難しい。それを思うと不安になるのだ。

動物というのは生れた時から自分自身の性質に自覚を持っているものだ。

あるものは走力を、あるものは泳力を、そしてあるものは飛翔力を。

だが人間だけが教育に頼らなければ何ひとつ知る事もできない。

生れながらにできる本能といったら泣く事のみだ。

 これに対し、エウクレスは「でもそれは神の決めた事…仕方がないのでは」と返すが、プリニウスは次のように答えた。

確かにその通りだ。

だからこそ私は他の動物に対して恥かしくないように生きようと決めたのだ。人間の特性である知性をできる限り磨こうと。

 

プリニウスの言う通り、人間の特性は「知性」である。「ホモ・サピエンス」はラテン語で「知恵ある人」の意だ。しかし悲しいことに、知性というものはただ口を開けてぼーっと突っ立っているだけでは身に付かない。正しい教育を受けることで、初めて知性が身につく。また、知性を身に付けたとしても、磨き続けなければいずれ失われてしまう。だから、常日頃から学ぶ姿勢を維持し、教養を身に付け知性をアップデートしなければならない。

 

知性は刃物と同じだ。ただの鉄の塊が、高温に熱され何度も叩かれ冷やされ、様々な工程を経て初めていっぱしの刃物になる。しかしその刃物も、長い間使われず、磨かれもせず放置されているとそのうち錆びて使い物にならなくなってしまう。だからこそ、「教養」という砥石で知性を磨き続けなければならないのだ。

 

うん、うまいこと言った。