ますですブログ

思ったことや感じたことなど。

ゆく年くる年

あと1日で2018年も終わりですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

2018年も残すところあとわずかということで、今回の記事では2018年の振り返りをしたいと思う。なお、先に今年を表す漢字一文字を言っておくと、「」である。

 

〇1月【修論提出】

ちょうど1月15日が修士論文の提出期限だったので、年始から1月15日までは基本的にずっと修論と格闘していた。とはいっても、修士論文の執筆自体はそこまで印象的ではない。丸1年前というのもあるが、この1年の間に修論を除いて2本論文を書いているので、修論そのものが特段キツかったという訳ではないのだ。むしろ、修論を提出してから2週間ほど家に引きこもってドラクエ11をプレイした方が印象に残っている(ドラクエ11のラスボスはそのままではクソみたいに強く、「勇者の剣」という武器を使って敵の「闇の衣」という特殊効果を解除して初めてまともに戦えるようになるのだが、それを知らずに戦った結果、ラスボス撃破に1時間ほどかかった。後で「勇者の剣」を使って戦ってみたら5分で戦闘終了したので、とても時間を無駄にした気分だったが、今思えば「勇者の剣」を使わない方が、いつ全滅するか分からないというスリルがあって楽しかった。以上、ドラクエ11経験者にしか分からない記述)。

 

〇2月【入試面接】

3か月ほど修士論文に抑圧され続けた僕の心は、ドラクエ11をクリアするくらいでは満足せず、ついにモンハンにまで手を出した。正直、2月のほとんどをモンハンに費やしたといっても過言ではない。モンハン未経験者にもかかわらず、ラスボスを倒すまではソロプレイを貫くという縛りを自らに課していたこともあって、クリアには相当の時間を要した。このままではゲームの記述ばかりになってしまうのでそれ以外のことを書くが、2月には後期博士課程進学の院試があった。この院試には若干の苦い思い出がある。院試の面接では参考資料等の持ち込みが許可されていると勝手に思い込んでモンハン漬けの生活を送っていたのだが、前日に持ち込み禁止であることを知り、徹夜で原稿を丸暗記する羽目になったのだ。今振り返っても実にアホらしい。

 

〇3月【卒業】

3月といえば卒業シーズンである。僕はこの3月に修士課程を修了し、修士号を得た。2年ぶり2度目の卒業だが、卒業そのものには特にこれといった感情もない。なぜなら4月からも同じ大学の同じ研究室で同じ研究活動を続けるわけだから、僕にとってこの年の卒業式は何の意味もないのだ。それよりも強く印象に残っているのは、2つ下の後輩が大学を卒業したことだ。なぜかはよく分からないが、ゼミもバイトも、2つ下の学年の後輩が一番付き合いが深く、思い入れも強かった。こう書くとこれまでどんな人間関係を築いてきたのかと疑問を持たれそうだが、人の卒業に「寂しい」という感情を覚えたのも、この年が初めてだった。そのあと3月下旬ごろには学会報告用の要旨作成に時間と体力・気力を吸い取られていたので、早くも博士課程進学後の生活に不安を覚えたものだった。

 

〇4月【博士課程】

卒業シーズンが終わって、4月からは入学シーズンである。僕は2年ぶり3度目の入学式を終え、晴れて博士課程の大学院生へとランクアップした。のだが、前述の通り生活そのものは修士課程の時代とほとんど変わらなかった。基本的に家と研究室の間を反復横跳びする生活だ。4月の研究生活の大半は、5月12日に控えていた学会報告の準備と、学振(結果はこれ)の申請書作成に追われていた。2018年の忙しさのピークは2つあったのだが、そのうち1つはここだった。4月末までに学会提出用の論文を書き上げ、その後ポスター報告用のポスターを作成し、その合間に学振申請書を書く、という流れだったので、心身ともに相当の負荷がかかった。それが5月から6月にかけてとんでもない結果をもたらすことになろうとは、4月の僕は知る由もなかった。

 

〇5月【学会報告】

4月と5月上旬に血のにじむ努力を重ねた結果、論文を書き上げつつポスターを作成し、学振の申請書を完成・提出することができた。そして前述の通り、5月12日と13日に学会があったので、そこでポスター報告をした。疲労と緊張でなかなかつらかったのだが、何とか初めての学会報告(ポスター)を終えることができてよかった。報告を聞いてくれた人が「面白いね」と言ってくれただけで、それまでの努力が報われたような気がしたものだ。のだが、どうもその後、心身の調子がおかしくなった。まず、頭皮がやたらと「張る」ような感覚がずっと続き、のれんをくぐるときに頭が布に触れるだけで弱い痛みを感じるようになった。また、右目のまぶたや右耳、右の頭皮など、顔の右半分が頻繁に痙攣するようになった。そして5月末下旬には色んな物事に対する集中力ややる気がなくなり、強い倦怠感を覚えるようになった。多分、自律神経系がイカれてしまったんだろう。

 

〇6月【リハビリ】

ということで、指導教授に学会報告以降心身の調子がぶっ壊れているため、10日ほど研究から離れさせてほしいとのお願いをした。博士課程進学2か月でこれである。自分の弱さを痛感したものだが、同時に、それまで「自分は人よりもメンタルが強い」と考えていたのが思い違いであったということにも気が付けたので、自分の限界を知れたという意味では良かったと思う。そのお暇宣言以降、6月はモンハンしたりバイトをしたりと、ゆっくり過ごした。2か月ぶりくらいにバイトに復帰して感じたのは、「1週間のうち数時間でいいから、研究とは全く関係ない人と研究とは全く関係ない会話をしないと絶対に心身に不調をきたすので、研究室以外のコミュニティには何らかの形で所属し続けておかないといけないということ」である。あの「リハビリ」期間に僕の相手をしてくれた人には、本当にお礼を言いたい。

 

〇7月【復調】

6月の大半をリハビリに費やしたおかげで、7月には心身ともに本調子に戻すことができた。が、あまり書くことはない。研究を再開しつつ、銭湯に行ったり、めちゃくちゃ雨が降った台風の日に研究室に避難したり、避難先の研究室でモンハンをしたり、髪を染めたらDQNみたいな色になったり、といったところだ。

 

〇8月【帰省・腹筋】

8月の上旬は採点補助にほとんどの時間を吸い取られたので、ほとんど特筆するようなこともない。中旬、今年は少し長めに1週間実家に帰省した。4つ上の従兄弟に子供ができていて衝撃を受けた。あと、高校時代の友人と6年ぶりくらいに再会し、思い出話に花を咲かせた。僕は普段人と喋るときに高校時代についてほとんど口にしないのだが、その理由についてはまた別の記事で触れようと思う。その他の印象深い出来事は、中学時代の友人と地元の川で飛び込みをしたとき、河原の巨石の裏で夫婦がここでは書けないようなことをしているのを目撃したことだろうか。我ながらエロ本のような出来事に遭遇したものだった。8月下旬以降は謎に腹筋を鍛えることに目覚めたので、毎晩寝る前に100回腹筋することを日課とした。ガリガリ体形なので1か月で腹筋が割れた。

 

〇9月【テキストマイニング

上の記述だけ見れば8月はずっと遊び呆けているように見えるが、帰省期間以外の生活はずっと家と研究室の反復横跳びである。8月中ずっと、僕は教科書や入門書を読むなどしながら、テキストマイニングに関する基礎知識を身に着けていた。そして9月、僕は実際に自分の研究テーマにテキストマイニングを用いることにしたのだ。しかしテキストマイニングをするには、素材であるテキストデータが必要である。僕は国会会議録を素材として用いるつもりだったのだが、このダウンロードが大変だった。ので、4回生の学生を使ってデータ収集させることにした。この時、初めて僕は「人を金で雇う」という経験をした。時給2000円である。めちゃくちゃ痛かった。なお、このデータを使った論文をそのうち書くつもりなので、その時またご報告します。

 

〇10月【パソコンの到来】

10月初めに、ノートパソコンが我が家にやってきた。ということで、ブログを書き始めた。それ以降は大体ブログに書いている通りである。学振に落ちたり銭湯に入りまくったり5年分のツイートをテキストマイニングしたり、といったところだ。この時期でブログに書いていないことといえば、新しく他学科のTAに任用されてアタフタしたり、11月末提出を目指して論文の構想を練り始めたり、といったところだろうか。TAの件については、初旬に合宿があったのだが、アウェー過ぎてなかなかつらかった。論文については、8月9月の間にテキストマイニングのスキルを身に着けたことが功を奏し、社会調査アンケートの自由回答分析をしても良いというお許しを得ることができた。といった感じで10月は割と気持ちも軽かったのだが、11月、僕は今年2度目の地獄を見ることになるのである。

 

〇11月【地獄再来】

12月最初の記事(11月が終わっていた)でも書いたのだが、11月は1度もブログを更新していない。ブログを更新している暇がなかったのだ。毎日論文を書き進めながら毎週指導教授に報告を行い、なおかつTA業務の一環で素人に動画編集のやり方を教えなければならなかったのである。4時間だけ眠りに家に帰ったり、研究室のイスの上で仮眠をとったりする生活が3週間ほど続いた。のだが、5~6月とは異なり、精神に異常をきたすことはなかった。前回の反省から、適度にバイトを入れて研究と関係のない人と会話したり銭湯に行ってリフレッシュするなどして、メンタルだけはぶっ壊さないように気を付けていたからだ。おかげで今回は特にメンタル面での不調もなく論文を期限内に提出することができた。

 

〇12月【忘年】

ということで、12月初旬は論文執筆とTA業務で溜まったストレスを発散すべく、再びドラクエ11を引っ張り出して1からプレイしなおした。こう振り返ると、1年のうち相当の時間をゲームに費やしているようだ。そのあとは残ったTA業務を消化しながら、指導教授から依頼される図表作成や資料調査の任務をこなしつつ、論文の修正作業をするなどした。

 

こんな感じで、12月31日を迎えている。最初に書いたように、今年を表す漢字は「獄」だ。この1年の間に2回地獄を見たし、おそらく監獄(研究室)に在室していた時間もこの3年間で一番長かったからである。ただ、この1年を振り返って良かったか悪かったかと問われたら、迷いなく「良かった」と答えると思う。色々とつらかったことも多かったが、この一年の間に、人生で一番成長できたような気がするからだ。こうやって毎年成長を重ね、常に右肩上がりの成長曲線を描き続けたいなと思う。

 

今年の反省点を挙げるとすれば、生活リズムが完全に崩壊してしまったことだろうか。365日のうち24時より前に就寝できた日は片手で数えることができるレベルだし、12時より前に起床できた日は50日にも満たない気がする。2018年の1年は、過去24年の人生で最も生活リズムが終わっていた1年でもあった。来年はもう少し生活リズムを改善したい。

 

それでは皆様、よいお年をお迎えください。

来年もまたこのブログでお会いできることを願っております。