ますですブログ

思ったことや感じたことなど。

ますですメモ② -京都の銭湯-

新年あけましておめでとうございます。

今年も当ブログをよろしくお願いします。

 

さて2019年一発目のブログは、いきなり「ますですメモ」。今回はタイトルにあるように、僕がこれまで行ったことのある京都の銭湯を簡単に記録しておこうと思う。自分がもう一度その銭湯を利用するとき、そこがどんな銭湯だったかを思い出すのに役に立つし、京都の銭湯に興味がある学生とかの参考になるかもしれないので、ね。

 

あ、あとブログの目次とか見出しとかいろいろとカスタマイズしたので、今回の記事から少し華やかな感じになります。久しぶりにCSSいじったけど楽しいね。

 

 

サウナの梅湯

今京都で一番アツい銭湯(らしい)。 

 

場所は大体、京阪七条駅から徒歩10分以内。営業時間が14時から深夜2時なので、僕のような夜型人間には非常にありがたい銭湯だ(京都の銭湯は大体深夜1時には閉まってしまう)。ちなみに土日は朝6時から12時までの間も営業しているらしい。なので、夜行バスで朝早くに京都駅に到着したときなどにも重宝されているとか。風呂場以外のスペースも充実していて、小さな池付きの庭に面した喫煙所があったり、2階にはソファ付きの休憩所があったりする。

 

風呂場そのものはそこまで大きくないのだが、「サウナの梅湯」なだけあって、サウナ関係の施設は充実している。水風呂は17度らしいが、個人的には水風呂は20度くらいがベストなので、若干冷たい。風呂場の壁には番頭さんが毎月作成しているらしい壁新聞が貼り付けてあるのだが、僕は風呂に入りながらこれを読むのが好き。

 

詳しくは「サウナの梅湯(京都府京都市下京区) - サウナイキタイ」こちらから

 

五香湯

銭湯のイメージを覆す銭湯。めちゃくちゃデカい。 

 

場所は大体、五条堀川の交差点を若干西に進んだところにある。マンションの1階と2階が銭湯なので、遠くから見ると銭湯っぽくない。営業時間は14時半から0時半らしい。この銭湯は休憩スペースが広いうえに食事も提供しているので、風呂に入った後も長時間ゆっくりすることができるところが素晴らしい。あと、他の銭湯ではまず見かけない、体脂肪率も測れる体重計がある。

 

この銭湯のすごいところは、めちゃくちゃ風呂場が広いことだ。まず、町の銭湯にもかかわらず、風呂場が1階と2階に分かれている。1階には普通の風呂や電気風呂、薬用風呂、ジェットバス等の、オーソドックスな風呂と洗い場がある。そして2階には、低温サウナと高温サウナの2種類のサウナと水風呂、そして露天風呂(屋根付き)がある。銭湯なのに、サウナが2種類あるのだ。しかもサウナはテレビ付きだ。430円払うだけでこれだけの施設を利用できるのはとんでもないことだと思う。ただ、水風呂は18度ということで、やはり冷たい。

 

温泉施設やスーパー銭湯ではなく、銭湯でこれは本当にヤバい。というか、本当の意味での「スーパー」銭湯だと思う*1

 

詳しくは「五香湯(京都府京都市下京区) - サウナイキタイ」こちらから

 

天翔の湯

なんと「天然温泉」の露天風呂に入れる銭湯!

 

場所は大体、七条西大路を少し西に進んだところにある。車かバイクで来るのが良いんじゃないだろうか。営業時間は14時から深夜1時までらしい。休憩スペースは少し狭めに感じたが、前述のサウナの梅湯や五香湯が異常な広さので、これが一般的な広さの休憩所だと思う。

 

この銭湯の特徴は、何といっても「天然温泉」に入れることだ。公式HPには、次のように紹介されている。「天翔の湯は、地下1000mから湧き出す源泉を掛け流しで天然温泉がご利用できます。京都の銭湯では、初めての天然温泉を源泉掛け流しでご利用できる銭湯です。」と。430円払うだけで、温泉に入れるのである。京都市内にはほとんど温泉がないのだが(あることはある)、ここに来ればすぐ温泉に入れるのだ。

 

風呂場そのものはそこまで大きいわけではない。サウナ・水風呂ともにあるが、あまり印象には残っていない。水風呂は収容人数2名くらいで、後がつかえて大変だった。天翔の湯の強みは、割と広めの露天風呂があることだろうか。他の銭湯の露天風呂と比較しても、天翔の湯の露天風呂は相当広かった気がする*2。なお、天翔の湯で前述の天然温泉に入れるのはこの露天風呂である。そしてこの温泉の泉質だが、湯が口に入ると誤って血でも飲んだのかと思うほど、めちゃくちゃ鉄分が濃厚。

 

詳しくは「天然温泉 天翔の湯(京都府京都市右京区) - サウナイキタイ」こちらから

 

山城温泉

君は「冷水風呂」に耐えられるか。 

 

場所は大体、北野白梅町駅を南東に5分ほど進んだところにある。住宅街の中にあるので、初見だと少し見つけにくいかもしれない。営業時間は15時から深夜1時までとのこと。休憩スペースは、一般的な銭湯と同じくらいといったところだろうか(天翔の湯とかと大体一緒)。

 

名前は山城温泉だが、恐らくここは天翔の湯とは違って天然温泉は使用していないと思う(温泉には必ずある泉質を示す掲示がなかったのでそう推測するが、だとしたら景表法的に大丈夫なんだろうか……?)。この銭湯の特徴は、前述の五香湯ほどではないにせよ、かなり風呂場が広いことだろう。奥行きがすごいのだ。あと、サウナ(テレビ付き)もかなり大きい。10人くらいなら収容できるんじゃないかと思う。さらに露天風呂付きだ。

 

で、最初に書いた「冷水風呂」である。山城温泉には「水風呂」がなく、代わりに「冷水風呂」がある。最初は単に水風呂を言い換えたものだと思っていたのだが、実際に入ってみると、ああこれは「冷水風呂」だとすぐに理解した。サウナで汗をかきまくった直後であっても、30秒も入っていられないほど冷たいのだ。長時間入っていると、皮膚を針でつつかれているような痛みを全身に感じるレベルである。実際に下のサイトで確認すると、なんと冷水風呂の水温は8度とのことだった。そら痛いわ。

 

詳しくは「山城温泉(京都府京都市上京区) - サウナイキタイ」こちらから

 

松葉湯

インコとアルプス山脈を楽しめる銭湯(?) 

 

場所は大体、丸太町千本を北西に入ったところにある。JR円町駅から割と近いみたいだ。場所的に前述の山城温泉とかなり近い場所にあるので、こちらも住宅街の中にあって初見では見つけにくい気がする。営業時間は15時から0時。休憩所の広さは一般的な広さ。

 

この銭湯の特徴は2つある。1つは、風呂場に入った瞬間目に入る、巨大なアルプス山脈のタイル絵である。よくドラマやアニメで目にするのは富士山のタイル絵だが、松葉湯ではなぜかアルプスの山々を描いたタイル絵を鑑賞することができる。ちなみに僕が初めて見た銭湯のタイル絵が、このアルプスの山々だ。もう1つの特徴は、風呂場からガラス越しに、50匹近いインコを見ることができることだ。なぜ銭湯でインコなのかは知らないが、大量のインコを見ながら風呂に入ることができるのは日本広しといえどもこの松葉湯だけだろうと思うので、ぜひ見てみてほしい。

 

ちなみにこの松葉湯、風呂そのものも非常に良い。普通の風呂にジェットバス、薬用湯、電気風呂といったオーソドックスな施設に加えて、サウナ(小さなテレビ付き)と水風呂、そして露天風呂が備わっているのだ。ただ、水風呂の温度は16度とやはり低めでなので、個人的には若干しんどい。水温が20度くらいの水風呂を備えた銭湯がなかなか見つからないのはなぜなのだろうか……。

 

詳しくは「松葉湯(京都府京都市上京区) - サウナイキタイ」こちらから

 

船岡温泉

京都で最も有名な、目で見て楽しめる銭湯 

 

場所は大体、鞍馬口千本を東に入って少し進んだところ。こちらも住宅街のど真ん中にあるが、パッと見てすぐ分かる外観をしているので、迷うことはないんじゃないかと思う。前にめっちゃ自転車停まってるし。営業時間は15時から深夜1時までとのこと。あまり覚えていないが、休憩所は狭かったかほとんどなかったような気がする。

 

船岡温泉のすごいところは、内装がとにかく豪華でレトロなところだ。Wikipedia(!)の情報によると、建物自体が建てられたのが1923年なので、大正時代の外観を維持していることになる。銭湯として営業を開始したのは1933年とのことで、90年近くの歴史を持つ銭湯なのだ。脱衣所や風呂場も、登録有形文化財に指定されているそうだ。430円で登録有形文化財に入れるって書くと、すごく価値を感じるよね。実際、価値あるんだけど。

 

で、実際の風呂はどうかというと、結構広いし風呂の種類も豊富(普通の風呂・電気風呂・薬用風呂・ジェットバス・サウナ・水風呂・露天風呂あり)で嬉しいのだが、観光名所でもあることから混雑していることが多く、あまりゆっくり落ち着いて入浴することができない。個人的には、リラックスしに行くというよりかは観光しに行く方が良いような気がする。

 

詳しくは「船岡温泉(京都府京都市北区) - サウナイキタイ」こちらから

 

まとめ

 

今のところ、僕が入ったことのある京都の銭湯はこんな感じだ。どこも優劣付け難いが、しいて一番好みの銭湯を挙げるとすると、五香湯になるだろうか。やっぱりあのデカさはすごい。なお、今回は「銭湯」縛りだったので挙げなかったが、他にもおススメの風呂があったりする。値段がかなり高くなるものの、最高の設備を利用することができるルーマプラザ(サウナ&カプセルホテル ルーマプラザ(京都府京都市東山区) - サウナイキタイ)や、京都市内ではめちゃくちゃめずらしい温泉施設である天山の湯(さがの温泉 天山の湯(京都府京都市右京区) - サウナイキタイ)などは、一度入ってみる価値のある入浴施設だと思う。

 

この調子で、2019年も新規開拓していきたい。

銭湯巡りに興味のある方はぜひお声掛けください。一緒に銭湯巡りしましょう。

*1:ちなみに「銭湯」と「スーパー銭湯」の違いだが、料金体系が異なる。一般的な「銭湯」の多くは、銭湯業界の組合である浴場組合に属するため、料金は一律430円(京都の場合)となる。これに対し、スーパー銭湯の多くは店舗ごとに料金を設定するので値段が異なることが多く、また、一般的な銭湯よりも入浴料金が高く設定される(600~800円など)ことが普通である。

*2:銭湯巡りを始めてから知ったのだが、京都には意外と露天風呂を備えた銭湯が結構ある

ゆく年くる年

あと1日で2018年も終わりですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

 

2018年も残すところあとわずかということで、今回の記事では2018年の振り返りをしたいと思う。なお、先に今年を表す漢字一文字を言っておくと、「」である。

 

〇1月【修論提出】

ちょうど1月15日が修士論文の提出期限だったので、年始から1月15日までは基本的にずっと修論と格闘していた。とはいっても、修士論文の執筆自体はそこまで印象的ではない。丸1年前というのもあるが、この1年の間に修論を除いて2本論文を書いているので、修論そのものが特段キツかったという訳ではないのだ。むしろ、修論を提出してから2週間ほど家に引きこもってドラクエ11をプレイした方が印象に残っている(ドラクエ11のラスボスはそのままではクソみたいに強く、「勇者の剣」という武器を使って敵の「闇の衣」という特殊効果を解除して初めてまともに戦えるようになるのだが、それを知らずに戦った結果、ラスボス撃破に1時間ほどかかった。後で「勇者の剣」を使って戦ってみたら5分で戦闘終了したので、とても時間を無駄にした気分だったが、今思えば「勇者の剣」を使わない方が、いつ全滅するか分からないというスリルがあって楽しかった。以上、ドラクエ11経験者にしか分からない記述)。

 

〇2月【入試面接】

3か月ほど修士論文に抑圧され続けた僕の心は、ドラクエ11をクリアするくらいでは満足せず、ついにモンハンにまで手を出した。正直、2月のほとんどをモンハンに費やしたといっても過言ではない。モンハン未経験者にもかかわらず、ラスボスを倒すまではソロプレイを貫くという縛りを自らに課していたこともあって、クリアには相当の時間を要した。このままではゲームの記述ばかりになってしまうのでそれ以外のことを書くが、2月には後期博士課程進学の院試があった。この院試には若干の苦い思い出がある。院試の面接では参考資料等の持ち込みが許可されていると勝手に思い込んでモンハン漬けの生活を送っていたのだが、前日に持ち込み禁止であることを知り、徹夜で原稿を丸暗記する羽目になったのだ。今振り返っても実にアホらしい。

 

〇3月【卒業】

3月といえば卒業シーズンである。僕はこの3月に修士課程を修了し、修士号を得た。2年ぶり2度目の卒業だが、卒業そのものには特にこれといった感情もない。なぜなら4月からも同じ大学の同じ研究室で同じ研究活動を続けるわけだから、僕にとってこの年の卒業式は何の意味もないのだ。それよりも強く印象に残っているのは、2つ下の後輩が大学を卒業したことだ。なぜかはよく分からないが、ゼミもバイトも、2つ下の学年の後輩が一番付き合いが深く、思い入れも強かった。こう書くとこれまでどんな人間関係を築いてきたのかと疑問を持たれそうだが、人の卒業に「寂しい」という感情を覚えたのも、この年が初めてだった。そのあと3月下旬ごろには学会報告用の要旨作成に時間と体力・気力を吸い取られていたので、早くも博士課程進学後の生活に不安を覚えたものだった。

 

〇4月【博士課程】

卒業シーズンが終わって、4月からは入学シーズンである。僕は2年ぶり3度目の入学式を終え、晴れて博士課程の大学院生へとランクアップした。のだが、前述の通り生活そのものは修士課程の時代とほとんど変わらなかった。基本的に家と研究室の間を反復横跳びする生活だ。4月の研究生活の大半は、5月12日に控えていた学会報告の準備と、学振(結果はこれ)の申請書作成に追われていた。2018年の忙しさのピークは2つあったのだが、そのうち1つはここだった。4月末までに学会提出用の論文を書き上げ、その後ポスター報告用のポスターを作成し、その合間に学振申請書を書く、という流れだったので、心身ともに相当の負荷がかかった。それが5月から6月にかけてとんでもない結果をもたらすことになろうとは、4月の僕は知る由もなかった。

 

〇5月【学会報告】

4月と5月上旬に血のにじむ努力を重ねた結果、論文を書き上げつつポスターを作成し、学振の申請書を完成・提出することができた。そして前述の通り、5月12日と13日に学会があったので、そこでポスター報告をした。疲労と緊張でなかなかつらかったのだが、何とか初めての学会報告(ポスター)を終えることができてよかった。報告を聞いてくれた人が「面白いね」と言ってくれただけで、それまでの努力が報われたような気がしたものだ。のだが、どうもその後、心身の調子がおかしくなった。まず、頭皮がやたらと「張る」ような感覚がずっと続き、のれんをくぐるときに頭が布に触れるだけで弱い痛みを感じるようになった。また、右目のまぶたや右耳、右の頭皮など、顔の右半分が頻繁に痙攣するようになった。そして5月末下旬には色んな物事に対する集中力ややる気がなくなり、強い倦怠感を覚えるようになった。多分、自律神経系がイカれてしまったんだろう。

 

〇6月【リハビリ】

ということで、指導教授に学会報告以降心身の調子がぶっ壊れているため、10日ほど研究から離れさせてほしいとのお願いをした。博士課程進学2か月でこれである。自分の弱さを痛感したものだが、同時に、それまで「自分は人よりもメンタルが強い」と考えていたのが思い違いであったということにも気が付けたので、自分の限界を知れたという意味では良かったと思う。そのお暇宣言以降、6月はモンハンしたりバイトをしたりと、ゆっくり過ごした。2か月ぶりくらいにバイトに復帰して感じたのは、「1週間のうち数時間でいいから、研究とは全く関係ない人と研究とは全く関係ない会話をしないと絶対に心身に不調をきたすので、研究室以外のコミュニティには何らかの形で所属し続けておかないといけないということ」である。あの「リハビリ」期間に僕の相手をしてくれた人には、本当にお礼を言いたい。

 

〇7月【復調】

6月の大半をリハビリに費やしたおかげで、7月には心身ともに本調子に戻すことができた。が、あまり書くことはない。研究を再開しつつ、銭湯に行ったり、めちゃくちゃ雨が降った台風の日に研究室に避難したり、避難先の研究室でモンハンをしたり、髪を染めたらDQNみたいな色になったり、といったところだ。

 

〇8月【帰省・腹筋】

8月の上旬は採点補助にほとんどの時間を吸い取られたので、ほとんど特筆するようなこともない。中旬、今年は少し長めに1週間実家に帰省した。4つ上の従兄弟に子供ができていて衝撃を受けた。あと、高校時代の友人と6年ぶりくらいに再会し、思い出話に花を咲かせた。僕は普段人と喋るときに高校時代についてほとんど口にしないのだが、その理由についてはまた別の記事で触れようと思う。その他の印象深い出来事は、中学時代の友人と地元の川で飛び込みをしたとき、河原の巨石の裏で夫婦がここでは書けないようなことをしているのを目撃したことだろうか。我ながらエロ本のような出来事に遭遇したものだった。8月下旬以降は謎に腹筋を鍛えることに目覚めたので、毎晩寝る前に100回腹筋することを日課とした。ガリガリ体形なので1か月で腹筋が割れた。

 

〇9月【テキストマイニング

上の記述だけ見れば8月はずっと遊び呆けているように見えるが、帰省期間以外の生活はずっと家と研究室の反復横跳びである。8月中ずっと、僕は教科書や入門書を読むなどしながら、テキストマイニングに関する基礎知識を身に着けていた。そして9月、僕は実際に自分の研究テーマにテキストマイニングを用いることにしたのだ。しかしテキストマイニングをするには、素材であるテキストデータが必要である。僕は国会会議録を素材として用いるつもりだったのだが、このダウンロードが大変だった。ので、4回生の学生を使ってデータ収集させることにした。この時、初めて僕は「人を金で雇う」という経験をした。時給2000円である。めちゃくちゃ痛かった。なお、このデータを使った論文をそのうち書くつもりなので、その時またご報告します。

 

〇10月【パソコンの到来】

10月初めに、ノートパソコンが我が家にやってきた。ということで、ブログを書き始めた。それ以降は大体ブログに書いている通りである。学振に落ちたり銭湯に入りまくったり5年分のツイートをテキストマイニングしたり、といったところだ。この時期でブログに書いていないことといえば、新しく他学科のTAに任用されてアタフタしたり、11月末提出を目指して論文の構想を練り始めたり、といったところだろうか。TAの件については、初旬に合宿があったのだが、アウェー過ぎてなかなかつらかった。論文については、8月9月の間にテキストマイニングのスキルを身に着けたことが功を奏し、社会調査アンケートの自由回答分析をしても良いというお許しを得ることができた。といった感じで10月は割と気持ちも軽かったのだが、11月、僕は今年2度目の地獄を見ることになるのである。

 

〇11月【地獄再来】

12月最初の記事(11月が終わっていた)でも書いたのだが、11月は1度もブログを更新していない。ブログを更新している暇がなかったのだ。毎日論文を書き進めながら毎週指導教授に報告を行い、なおかつTA業務の一環で素人に動画編集のやり方を教えなければならなかったのである。4時間だけ眠りに家に帰ったり、研究室のイスの上で仮眠をとったりする生活が3週間ほど続いた。のだが、5~6月とは異なり、精神に異常をきたすことはなかった。前回の反省から、適度にバイトを入れて研究と関係のない人と会話したり銭湯に行ってリフレッシュするなどして、メンタルだけはぶっ壊さないように気を付けていたからだ。おかげで今回は特にメンタル面での不調もなく論文を期限内に提出することができた。

 

〇12月【忘年】

ということで、12月初旬は論文執筆とTA業務で溜まったストレスを発散すべく、再びドラクエ11を引っ張り出して1からプレイしなおした。こう振り返ると、1年のうち相当の時間をゲームに費やしているようだ。そのあとは残ったTA業務を消化しながら、指導教授から依頼される図表作成や資料調査の任務をこなしつつ、論文の修正作業をするなどした。

 

こんな感じで、12月31日を迎えている。最初に書いたように、今年を表す漢字は「獄」だ。この1年の間に2回地獄を見たし、おそらく監獄(研究室)に在室していた時間もこの3年間で一番長かったからである。ただ、この1年を振り返って良かったか悪かったかと問われたら、迷いなく「良かった」と答えると思う。色々とつらかったことも多かったが、この一年の間に、人生で一番成長できたような気がするからだ。こうやって毎年成長を重ね、常に右肩上がりの成長曲線を描き続けたいなと思う。

 

今年の反省点を挙げるとすれば、生活リズムが完全に崩壊してしまったことだろうか。365日のうち24時より前に就寝できた日は片手で数えることができるレベルだし、12時より前に起床できた日は50日にも満たない気がする。2018年の1年は、過去24年の人生で最も生活リズムが終わっていた1年でもあった。来年はもう少し生活リズムを改善したい。

 

それでは皆様、よいお年をお迎えください。

来年もまたこのブログでお会いできることを願っております。

ますですメモ① -プリニウス-

意味の分からないタイトルだが、今後、何か個人的に覚えておきたいことや後で振り返っておくべきことなどがあれば、備忘録として「ますですメモ」を付けたいと思う。今回は第1回なので、「ますですメモ①」だ。

 

今日は『プリニウス』という漫画を読んだ。誰かからオススメされたからとか、好きな漫画家が書いた漫画だからとか、そんな理由はない。ただ、頻繁にチェックしているWeb漫画サイトの1つで全話無料公開されていたから読んだだけだ(ちなみにここから読める→プリニウス - ヤマザキマリ/とり・みき )。こういうしょうもない理由で読んだ漫画の大半はしょうもない内容のものが多く、アタリは少ないのだが、今回は違った。シンプルに面白い漫画だったし、わざわざこうやってブログに書き留めておきたいと思えるようなセリフもあった。

 

さて、この『プリニウス』はどんな漫画かというと……

世界史上もっとも著名な博物学者にして、ローマ艦隊の司令長官。古代ローマ一の知識人にして、風呂好きの愛すべき変人。その男の名はプリニウス――。『テルマエ・ロマエ』のヤマザキマリが、最強のパートナー〝とり・みき″を迎えて、ふたたび魅惑の古代ローマ世界に挑む。圧倒的な構成と迫真の画力で2000年前の世界を描く、歴史伝奇ロマンの決定版!

らしい。全く意識していなかったが、この漫画の作者はあの『テルマエ・ロマエ』の作者のようだ。確かに言われてみれば、漫画のどこかに、東洋人を指した「これほど平たい顔の人種はいない」というセリフがあった。『テルマエ・ロマエ』を読んだことはないが、「平たい顔族」という言葉は知っている人も多いんじゃないだろうか。かく言う僕もそうだ。

 

プリニウスって誰やねんという人も多いと思うので、一応その紹介文を引用しておくと、こんな感じらしい。ちなみに僕もプリニウスって誰やねんと思った。

本名、ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(A.D.23~79年)。史上もっとも有名な博物学者。「寛容・進取・博学」と古代ローマの精神を一心に 体現する男でもある。その並外れた好奇心で、天文・地理、動植物の生態、絵画・彫刻など、森羅万象を網羅した、百科事典『博物誌』を書き遺す。ヨーロッパで『博物誌』は「古典中の古典」として知られ、後世の知識人たちに様々な影響を与えた。

 

今回僕がこうやって備忘録に残しておきたいのは、漫画そのものじゃなくその中のセリフなわけなので、漫画の紹介についてはこの辺にしておこう。興味あったら読んで。面白いし、時間無駄にした感も多分ないから。

 

僕が『プリニウス』を読んでいて「ああ、このセリフいいな」と思ったセリフは、第16話「ウニコルヌス」にある(ここで見れる→ 16.ウニコルヌス )。タイトルのウニコルヌスとは、ラテン語ユニコーンのことだが、今回のセリフには直接関係しない。セリフまでの流れと、実際のセリフは次の通り。

 

主人公プリニウスは、彼の姉が連れてきた生後間もない甥っ子と対面する。しかしプリニウスはしかめっ面で甥っ子の顔を凝視し、甥っ子を号泣させてしまう(姉曰く普段は「あまり泣かない」らしい)。さらに、号泣する赤ん坊を前に「人間の子供は弱虫である」との持論を展開し、姉や侍女からたしなめられる。その後、書記官のエウクレスから「プリニウス様は赤子がお嫌いなのですか…?」と問われると、プリニウスは次のように答えた。

いや、赤子はかわいい!

ただ、子供が立派に育つのは難しい。それを思うと不安になるのだ。

動物というのは生れた時から自分自身の性質に自覚を持っているものだ。

あるものは走力を、あるものは泳力を、そしてあるものは飛翔力を。

だが人間だけが教育に頼らなければ何ひとつ知る事もできない。

生れながらにできる本能といったら泣く事のみだ。

 これに対し、エウクレスは「でもそれは神の決めた事…仕方がないのでは」と返すが、プリニウスは次のように答えた。

確かにその通りだ。

だからこそ私は他の動物に対して恥かしくないように生きようと決めたのだ。人間の特性である知性をできる限り磨こうと。

 

プリニウスの言う通り、人間の特性は「知性」である。「ホモ・サピエンス」はラテン語で「知恵ある人」の意だ。しかし悲しいことに、知性というものはただ口を開けてぼーっと突っ立っているだけでは身に付かない。正しい教育を受けることで、初めて知性が身につく。また、知性を身に付けたとしても、磨き続けなければいずれ失われてしまう。だから、常日頃から学ぶ姿勢を維持し、教養を身に付け知性をアップデートしなければならない。

 

知性は刃物と同じだ。ただの鉄の塊が、高温に熱され何度も叩かれ冷やされ、様々な工程を経て初めていっぱしの刃物になる。しかしその刃物も、長い間使われず、磨かれもせず放置されているとそのうち錆びて使い物にならなくなってしまう。だからこそ、「教養」という砥石で知性を磨き続けなければならないのだ。

 

うん、うまいこと言った。

ある文系大学院生の研究室

10日ぶりの更新である。それなりにやることもあったので仕方ない。

 

気が付けばクリスマスも終わって、もうすっかりどこも年末ムードだ。今年のクリスマスは、修士論文の執筆に追われていた去年と同じく研究室で過ごした。指導教授から資料調査と図表作成のお仕事を頼まれていたので、その作業のためにずっと研究室にいなければならなかったのだ。

 

今年は例年よりも冬休みが始まるのが早かったからか、クリスマスの日は駐輪所に停まっている自転車も少なく、研究棟もいつもより静かな気がした……のだが、男だらけのうちの研究室の出席率は、この日も普段とほとんど変わらなかった。どこの大学院でも同じだとは思うが、修論提出を控えたM2(あるいはM3)は大体、年末クリスマス前後に締め切りに追い回されることになる。もはやこの景色も、風物詩のようなものだ。

 

さて、今日のブログはこの研究室に関するものだ。といっても、「研究室のイカれたメンバーを紹介するぜ!」とかそういうのではなく、単純に、僕が普段どんなところで研究しているのかを画像を交えながら紹介するだけである。文系の大学院生がどんな研究室で研究しているのか、気になる人もいるのではないかと思うのだ。なお、別に気にならないという人は今すぐブラウザを閉じた方が良い。

 

いきなりだが、これがうちの研究室のドアを開けた瞬間の風景だ。汚い。画像にも映っているが、僕が所属している共同研究室(所属するのは大学院生のみ)には電子レンジやトースター、電気ケトル、冷蔵庫などが設置されており、各々が勝手に自由に使用している。

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研究室の中に一歩踏み出し、少し視線を右に向けると、こんな感じでロッカーが並んでいる。謎のお札が貼られていたり、やたらと暗かったりと、これだけ見れば呪いのロッカーのようだが、よく見るとこのロッカー、真ん中にのれんがかかっている。

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近くで見ると、こんな感じ。

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こののれんを開くと……

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そう、ここが僕の研究室だ。

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少し上から全体が見えるように写真を撮ると、こんな感じになる。大体一畳半くらいの空間に、デスクと椅子、大きな本棚が2つと小さな本棚が1つ配置してある。写真ではかなり狭く見えるのだが、実際は横幅1メートル、奥行き2メートルくらいの空間なので、イスさえどかせば普通に横になって眠ることができる(漫画喫茶のフラットシートとほぼ同じ)。ちなみにこの椅子は180度までリクライニングできるので、寝るときはちゃんと椅子の上で寝る。デスクの下が赤く光っているのは、足が冷えないように電気ヒーターをデスクの下に置いているため。

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逆から撮った写真だと、こんな感じ。奥のザコそうなイスはもともと大学から支給されているイスで、手前のイスは僕が自分で研究室用に買ったイスだ。15000円くらいした。なお、パーテーションに貼り付けられたカレンダーは9月から更新されていない。

 

デスクは普段、こんな感じで使っている。最近、研究室にいるときはノートパソコンをデュアルディスプレイ化して使うようにしているのだが、これがとても便利で驚いた。モニター自体は2年前くらいに10000円くらいで買ったものだが、今になってあの頃買っていて本当によかったと思う。ちなみにモニターの奥においてある白いパーテーションは、僕の手作りである(4000円くらいかけた)。

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画像左の方の白い煙をモクモク出しているのは、1週間ほど前に買った加湿器だ。加湿器の横に置いてある黒いボトルに入ったアロマ液を入れてスイッチを入れると、男だらけの研究室が一瞬で女の子の部屋のような香りに一変するので、とても重宝している。その下にはウィスキーの瓶(貰いもの)が置いてあるが、僕はアルコール耐性が低くほとんど酒を飲まないので、ほぼ置物と化している。

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最後に、僕の研究室の本棚を紹介しようと思う。本来本棚は1人につき1つ割り当てられるのだが、うちの研究室は定員の半分くらいしか人がいないので、僕は2つ使っている。ので、2つ写真を載せておく。

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これが、僕がメインで使用している本棚だ。一番上が背丈の高い本で、正直あまり使わない。上から二段目には、教科書と雑誌、そして男子中学生のバイブル『いちご100%』を置いている。三段目には、少し専門性の高い教科書と、日本政治に関係する概説書を配置している。ちなみに、すごく今更な話ではあるが、僕の専門は日本政治である。四段目には、選挙制度に関連する概説書や専門書が並んでいる。僕の専門をもう少し詳しく言えば、日本の選挙制度・選挙法になるので、この四段目に置いている本が一番使用頻度が高い。そして一番下の五段目には、新書がズラっと並んでいる。日本政治に関する新書が多いが、あまり統一性はない。

 

まあ、僕の研究テーマについてはまたどこかの機会にブログに書こうかと思う。

 

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これがサブの本棚である。正直言うとこっちの本棚に並んでいる本は僕の研究テーマとあまり関りのない本なので、使用頻度はかなり低い(というか、実際に読んだことがあるのは半分くらいで、あとは貰いもの)。ちなみに画像左上に見える『右翼辞典』はめちゃくちゃ面白い。

 

とまあ、僕は大体いつもこんなところで研究している。なお、絶対に書いておかないといけないと思うので書くが、大半の大学院生はもっと簡素な研究スペースの中で研究しているので、ここまで紹介した僕の研究スペースは全くもって参考にならない。冷静に振り返ってみると、僕はこの研究スペースを構築するためにかなりの金額を投資している。15000円かけてイスをグレードアップしているし、モニター周りに10000円くらいかけているし、自作パーテーションに4000円、照明器具増設に3000円、加湿器関係に3000円、その他諸費で5000円……で大雑把に計算しても4万円である。残念だが、「大学院に入るとこんな環境で研究できるのか~」と思ってはいけない。そもそも、大学によっては院生個人に机や本棚が割り当てられないところもあると聞く(当然、うちはかなり恵まれている方だ)。大学院進学を考えている人は、必ず進学先の院生の人に、研究室の環境を聞いた方が良いと思う。少なくとも2年間のうち大半の時間をそこで過ごすことになるのだから……。

「メンヘラ」

あくまで個人的な感覚だが、「メンヘラ」というインターネット発祥の単語はこの5年くらいでインターネットとそこまで関りのない人々にも知れ渡り、急速に人口に膾炙するようになったのではないかと思う。少なくとも僕個人の実感として、5年前の段階では普段の会話に「メンヘラ」という単語はそうそう出てくるものではなかった(インターネット上ではしばしば目にした)。

 

そんなメンヘラという言葉も、今では至るところで目にし、耳にする「軽い」単語になった感がある。少し感情の起伏が激しかったり、情緒が不安定だったりすると(冗談で)メンヘラ扱いされる時代である。恐ろしい時代だ。本当のメンヘラに関わったことのある人間としては、そう簡単に人をメンヘラ扱いできるものではない。少し感情の起伏が激しかったり、情緒が不安定な人間などむしろかわいいウサギちゃんのようなものだ。美味しんぼの山岡さんのセリフを拝借しよう、「明日、もう一度来てください。本物のメンヘラをお見せしますよ」。

 

さて、それでは明日とは言わず、今から僕が過去に知り合ったメンヘラのお話をしよう。ちなみにこの人、今ではすっかり脱メンヘラして立派なお嫁さんになっているので、あくまで過去のお話であるが、分かりやすいように以下では「メンヘラちゃん」と表記しておく。

 

僕とメンヘラちゃんの出会いはインターネット(Twitter)だった。何の関係でフォローされたのかも忘れてしまったが、もう5年くらい前(2013年?)の話だと記憶している。当時僕はTwitterにドハマりしており、活発にネット活動をしていた(婉曲表現)こともあって、何かの機会に彼女の目に留まったのだろう。彼女もまた、活発に活動する人だったので、タイムライン上で頻繁にやり取りをするようになるまで、そんなに時間はかからなかった(この時はまだ、彼女がメンヘラだとは知らなかった)。

 

彼女は日本列島の上の方に住んでいる、1つ年下の女子大学生だった。たまに顔写真も公開していたのだが、とても可愛らしい顔つきの女の子だった。当時の僕はバカだったから、ネット上でも散々可愛い可愛いと言って(実際に可愛いのだ)必要以上にチヤホヤしていた記憶がある。だからだろうか、彼女は僕に気を許してくれたのか、いわゆる「裏垢」を教えてくれた。そして僕は、その裏垢を見て初めて、彼女がホストクラブにハマっていること、夜の世界でお仕事をしていること、————そしてガチモンの「メンヘラ」であることを知った。

 

それなりに昔のことだから、どの時系列かは分からない。彼女がホストクラブにハマったから夜の仕事を始めてメンヘラになったのか、もともとメンヘラだった彼女が夜の仕事を始めてホストクラブにハマったのか、どれがどうだったかは記憶に残っていない。ただ、彼女がホストクラブでかなりの散財をしている「ホス狂い」で、その資金を稼ぐために夜の街で男に身体を売る「風俗嬢」で、そしてかなりの頻度で手首を切り刻む「リストカッター」であったことは間違いない。今思えばメンヘラのテンプレートのような高度プロフェッショナル人材だった。

 

過去のツイート履歴を遡れば、リスカ写真が出るわ出るわ、宝(?)の山だった。それも、最初の頃は1度につき1本のリストカットなのだが、それが時間がたつにつれ、1度につき複数のリストカットをするようになるのだ。1本のリストカットであれば、少し料理で包丁の使い方を誤った時に見るようなものだからダメージも小さいのだが、複数切り付けられたリストカットはそれはもう大変なことになる。知り合いとメンヘラの話になったとき、僕はよくこの話をするのだが、マジモンのリストカッターの手首は楽器の「ギロ(下の画像参照)」のようになっている。これは冗談でも誇張でもない。

 

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よく言う話だが、リストカットをするメンヘラは死ぬためにリストカットをするわけではない(もちろん自殺の手段としてリストカットする人もいる)。ありがちな理由を挙げれば、自分が生きていることを実感するとか、心を落ち着かせるためにリストカットするそうだ。という訳なので、死を目的としないリストカットは普通、そこまで深く手首を切ったりはしない。しかし弘法にも筆の誤りというように、メンヘラにもカミソリの誤りが存在する。リストカット常習者でもたまに手元が狂うこともあるらしく、思ったより深く手首を切ってしまうこともあるらしい。少しグロい話になるのだが、そんな時は、血まみれの手首の中から白いモノ(これが何なのかは分からない)が見えるのだ。

 

何で僕がリストカットについてそんなに詳しく知っているかというと、メンヘラちゃんリストカットするたび、逐次その現場を写真に収めたうえで、ご丁寧に説明付きでTLに投稿してくれるからである。当然、予告などない。夜寝る前、布団に入ってTwitterのアプリを開きTLをスクロールしていたら、画像の8割が赤色のピクセルで占められたグロ画像が出てきたときを想像して欲しい。普通に叫び声をあげてスマホを放り投げそうになるのではないだろうか。また、これはあくまで「たまに」ではあったが、いきなりTwitterのDMでリスカ画像が送られてくることもあった。「今日の晩御飯」くらいの感覚で、「今日のリスカ」の画像が飛んでくるわけである。本当にとんでもない話だ。

 

メンヘラちゃんリストカット以外にも、様々な自傷行為をしていた。手首以外にも、普段人目につきにくい腕を切る「アムカ(アームカット)」をしたり、意図的に髪の毛を引き抜く「抜毛」をしたりしていた。あとこれもメンヘラちゃんだったか定かではないのだが、薬を過剰に服用する「OD(オーバードーズ)」をして救急車で運ばれたこともあったような気がする(他のメンヘラかもしれない)。ということで色々な自傷行為を経験したメンヘラちゃんだったが、彼女の発言で興味深いものがあったので、この機会に紹介したい。メンヘラちゃん曰く、最も身体に害が少なく人目も気にならない自傷行為は、「深爪」だそうだ(冗談ではない)。もし読者の方の中に、自傷行為をしたい衝動に駆られた方がいたら、その時は一旦冷静になって爪切りを取り出し、あえて深爪してみてほしい。深爪することで痛みを感じ、生きていることを実感できるのであれば、なんて素晴らしいことじゃないだろうか。

 

また、ホストクラブ(の闇)に関する知識も無駄に身についた。この辺りはもう書く気も起こらないので、Twitterの検索などで「たんとぴ」とでも検索してみてほしい。恐ろしい魑魅魍魎の渦巻く世界である。

 

ちなみにこういう世界を少しでも垣間見たことがあれば分かるのだが、「ホス狂い界隈」と「風俗嬢(≒水商売)界隈」、そして「整形界隈」は非常に親和性が高く、大部分が重複している。いわば、この3つは闇の三角形だ。このトライアングルに入るきっかけは、大体ガールズバーやキャバクラ等の水商売である(だから「風俗嬢(≒水商売)界隈」と書いた)。そこで多くの人は先輩や同僚に連れられてホストクラブに通い始め、沼にハマる。するとお金が足りなくなり、いくらかの人は風俗嬢にキャリアアップする。そしてこの辺りで、整形が姿を現す。水商売や風俗業での指名率を上げるため、あるいは「担当」の興味を惹くため、整形に手を出す。整形にもお金がかかる。仕事をさらにハードにする。こうして闇の三角形をぐるぐるぐるぐる回り続ける人が多いらしい。とんでもない世界である。

 

メンヘラちゃんは整形はしていなかったようだが、ホス狂いと風俗沼にズブズブだった。風俗で身体を売って稼いだ大金を、一晩で散在することもあったみたいだった。本当に「狂」っていたので、金を持っていると不安になっていたらしい。僕が2年生のころ学祭でスマホをパクられたのだが、新しいスマホを購入する資金を貯めるのに苦労しているとツイートした瞬間、メンヘラちゃんから「お金出してあげる」というDMがきたこともあった。理由を聞くと、「まとまったお金を持っているとすぐにホストにつぎ込んでしまうから、無理してでも持ち金を少なくしたい」という、意味の分からない理由だった。結局お金は貰わなかったが、あれは本当にホストに狂っていたんだと思う。

 

また、風俗嬢としても面白いツイートをたくさんしていたので、色々と風俗界隈に関する知識を得ることができた。さすがにブログに書けるような内容ではないので自重するが、彼女は風俗嬢としてものすごい経験を積んでいた。メンヘラちゃんは、年齢的には僕よりも1つ年下だったのだが、人生経験としては僕の何万倍も多くの経験値を貯めていたのではないかと思う。ちなみに直近ではSMバーで働いていたらしく、この間連絡を取った際はSM業界に関する最新情報をたくさん教えてくれた。もしSM業界についてもっと詳しく知りたい方がいれば、直接僕にコンタクトを取ってほしい。

 

とまあこんなところである。後半の方はあまりメンヘラとは直接関係のないことを書いてしまった。これ以外にも色々とメンヘラエピソードはあるのだが、メンヘラという特質上、なかなか公開用のブログには書くことを躊躇う内容のものが多いので、この辺りにしておこうと思う。結局、世の大学生が言っているようなメンヘラなんて、大したものではないのだ。個人的には、自傷行為の現場を撮影した画像を送りつけられてからメンヘラ扱いしろと言いたい。「彼氏に会えなくて寂しい」とか言ってるレベルの人をメンヘラなんて言ってたら、手首がギロ状態になっている人は何になるんだ。

 

いきなりスケールのぶっ飛んだ話になるが、僕は「人間としての厚み」は、多様なバックグラウンドを持った人と接触し、そしてそれらの人から多様な価値観を摂取することによって形成されると考えている。例えその人が歳を取っていて、それ故にたくさんの人間と出会っていたとしても、似たような人間とばかり接触し、凝り固まった単一の価値観に固執し続けているようであれば、その人の「人間としての厚み」は薄っぺら~いものだと考える。そういう意味では、メンヘラちゃんの存在を知れた(なお、直接会ったことはない)ことは、僕の「人間としての厚み」を増す大きなきっかけになったように思う。メンヘラちゃんと関りを持ったことにより、精神の振れ幅がぶっ壊れている人がどのような行動を採るのかや、風俗業界ではどのような行為が迷惑がられるのかや、ホストクラブがどうやって女性から金を搾り取るのかといった、大学院で研究するだけでは絶対に知ることのできないことを知ることができた。少なくともこういった知識を得たおかげで、僕には精神の振れ幅がぶっ壊れている人に対し、拒否反応を示すことなく理解し、ある程度は優しくすることができる。また、多少感情の起伏の激しい人であろうと、寛容に接することができる。だからこそ、僕は世にいる人を簡単にメンヘラ扱いする人に対し、「汝、メンヘラを知れ」と言いたいのだ。

 

12月14日の振り返り

昨日は例年まれに見る「濃い」1日だったので、記録として何があったのかをブログに残しておこうと思う。

 

この日は朝の9時に目が覚めた。前日は3時に布団に入ったから、6時間睡眠といったところだろうか。大学に着いたのは10時ちょうどくらいだった。研究棟に入った瞬間、事務室の人に呼び止められ、数枚の紙を渡された。どうやら先月末に提出した論文の掲載が認められたようだ。ということで、少し良い気分で1日をスタートすることができた。

 

10時30分過ぎくらいにTAを任されているゼミの教室に入り、ゼミの準備をした。この日は少し前の記事(11月が終わっていた)で書いた、動画の報告会があったのだ。この記事でも触れているが、僕はこの1か月半ほど相当の時間をこの指導に費やしていたので、この報告会だけは失敗させたくなかった。結論から言えば、若干思い残すところもあったにせよ、報告会は無事終了した。まあ何はともあれ、このゼミにおけるTAとしての僕の使命のほとんどはこの日をもって終了したわけだ。ゼミは12時くらいに終了し、13時ごろ、僕は晴れ晴れとした気分で研究室に帰還した。

 

昼食を挟み、15時からは本ゼミ(指導教授のゼミ)のTAとして、某大学の某ゼミとの合同ゼミに顔を出した。この合同ゼミは学部生がメインなので、大学院生の僕はほとんど関係が無かった。僕がこの日やらなければならなかったことは、その某ゼミの指導教授に「顔を覚えてもらう」ことと、その場に同席されていた別の教授にインタビューすることだった。ちなみにどちらの先生も日本を代表されるような政治学者の方で、もちろんこれまで直接お会いしたことはない。緊張で死にそうだった。

 

16時から16時30分くらいまで、とある教授にインタビューさせていただいた。その先生は某審議会に所属されており、その審議会が僕の研究テーマにかなり近いということもあって、僕の指導教授がインタビューの機会を設けてくださったというのが事の経緯である。超ビッグな先生とマンツーマンでのインタビュー、それはもう死ぬほど緊張した。どんな相槌が適切なのか、どのタイミングでメモを取ればいいのか、どう話を膨らませていけばいいのか、それらが全くもって分からず、終始アタフタしていたような気がする。とはいえ、非常に貴重なお話を聞くことができた。

 

インタビューを終えると再び合同ゼミに戻った。といっても、合同ゼミ中は特にやることはなかった。大変だったのは、18時からの合同懇親会だった。

 

今回の懇親会は、うちの大学の構内にあるオシャレなレストランの一部を貸し切って立食形式で行われた。イメージしやすいよう画像を添付するが、この画像からイスを取っ払った状況で行われた(ので、体力的にしんどかった)。

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ものすごい合コン感があったので僕はゼミの後輩と「合コンに来たみたいだね」なんて話をしていたのだが、後輩からは「先輩の場合は合コンっていうか婚活パーティーじゃないですか」という一言を投げかけられ、しょっぱなから若干の精神的ダメージを受けた。ちなみに僕は合コンにも婚活パーティーにも参加したことはない。

 

あと、他大学のゼミ生に、自分が大学院生でもうすぐ25歳になるということを打ち明けたのだが、「3年生だと思っていた」という回答が返ってきたときは普通に嬉しかった。そろそろアラサーと呼ばれる年齢ではあるが、見た目はまだまだ大学生のようだ。とはいえこんなことをわざわざブログに書いている時点で、「私何歳に見える?」と新入社員に聞いたら実年齢よりも低い年齢が返ってきて喜んでいるお局社員感がものすごいので、このあたりにしておこう。

 

懇親会が始まって30分ほどしてから、指導教授からお声がかかり、他大学の教授と3人でお話させていただいた。研究者として日々を過ごすうえで心がけておくべきポイントなど、非常に役に立つアドバイスをいただけた……のだが、やはりめちゃくちゃ緊張したし、つまらない返答しかできなかった。先程のインタビューもそうだが、相変わらず目上の人とお話しする経験が無さ過ぎてこういう場で頭が真っ白になってしまうのだ(実際、会話の途中でグラスをひっくり返して上着をウーロン茶まみれにしてしまった)。卒業してから就職していった人達はどうやってこのような場に慣れていくのか、本当に気になるので誰か教えてほしい。僕には一生無理そうな気がする。

 

とこんな感じで1時間弱ほどお話させていただき、その後はうちのゼミ生のところに帰った。後輩から慰められつつ聞いたのだが、他ゼミの女子学生の間で「あのタートルネック(当日タートルネックのセーターを着ていた)の人は何者なのか」と噂になっていたらしい。もっと時間があれば懇親会を婚活パーティーにできていたのかもしれない。残念だ。

 

冗談です。

大学院生と就活相談

僕は大学院生だから、大学生と会話する機会が(同い年の社会人と比べれば)多い。

 

「大学院生」と「大学生」は「院」という漢字が1文字入るか入らないかの違いしかないように見えるが、色々な部分で違いがある。大学院で学び、研究活動を行っていくうえで、(研究分野に関する)専門的な知識はもちろんのこと、論文執筆に必要な論理構成力や文章力、少人数講義によって培われるディスカッション能力など、学部教育では十分に身につけることが困難なスキルが身につくので、大学院生と学部生ではそういった面で大きな違いがある。というか、そういった違いが無いのであれば大学院に進学している意味が無い。

 

さて、僕個人としては、「同い年の人間のかなりの部分が既に社会人として活躍している」という点が、大学院生を大学生と比較したときに現れる、まあまあ大きな違いになるんじゃないかと最近考えている。

 

僕は大学院生なので、TA(ティーチング・アシスタント)の立場上、学部生の就活に関する相談を受けたりする機会が結構ある。僕は人生で一度も就職活動をしたことが無いので、そんな人間を相談相手に選んでいてこの人は大丈夫なのかと思うのだが、相談を受けてしまった以上とりあえず話は聞かないといけないし、出来得る限りのアドバイス的なこともしなければならない。そんな時、僕は大学院生としての立場から以下のようなアドバイス(?)をすることにしている。ちょっと長くなるけども、せっかくなのでこの機会に書いておこうと思う。

 

僕は大学院生だから、同級生のほとんどはもう社会人だ。今現在であれば、僕は大学院3年目になるので、同級生のほとんどは社会人3年目になるだろう。さて、いきなりスケールの大きな話になるが、厚生労働省は毎年「雇用動向調査」という調査をしている。その調査によれば、就職した大卒の人間のうち、大体30%前後の人間は一度就職した職場を3年以内に辞めている。大体20%の大卒は入社2年以内に離職するし、大体10%の大卒は入社1年以内に離職する(下のグラフ参照*1)。ものすごくざっくりといえば、大卒のうち大体3人に1人は入社してから3年以内に離職するということになるだろう。そう、意外と日本人はすぐに仕事を辞めるのだ*2

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就職後3年以内離職率の推移(大学卒)

(出典)「新規学卒者の離職状況」 厚生労働省HPより

 

実際僕の身の回りを見てみても、まあまあの割合で大学卒業後に就職した職場を辞めている人がいる。入社後2か月でいきなり仕事を辞めて今も夢を追い続ける人もいれば、入社して1年でより高い収入を求めてジョブチェンジした人もいるし、入社後2年間馬車車のように働いた結果、過労による鬱を患い退職して実家に引きこもってしまった人もいる。それ以外にも、実に数多くの離職者を見てきた。

 

さて、既に述べたように、僕は就職活動をしていない。その意味では大学生と何ら変わりはない(むしろ4年生には劣るかもしれない)。しかしながら、既に社会に旅立っていった人をたくさん知っているという点においては、大学生とは大きく異なる。逆に言えば、大学生の多くは浪人でもしていない限り、身近な人が社会に出た後どうなるかはあまり知らないことが多いだろう。だからこそ、この点からアドバイスをしたいと思う。結論から先に言えば、1つの会社で働くということにこだわり過ぎる必要はないということだ。

 

身の回りにそういう人が実際にいないと実感できないと思うが、意外と多くの人間は、就職してから数年のうちに仕事を辞めるものだ。もちろん仕事を辞めるにあたっては色んな理由があるけれど、大体3割くらいの人間は大学を出てから3年以内に仕事を辞める。仲の良い3人の友人を思い浮かべてみればいい。計算上、そのうち1人は社会に出てから3年以内に仕事を辞めるのだ。

 

就活の話を聞いているとき、よく聞くフレーズに「これから40年間働く会社」というものがある。確かに日本企業の特徴に挙げられるように、これまでの日本では年功序列の終身雇用が一般的だった。だから、就活生の多くはその企業に就職すればその後定年までずっとその企業で働くと考えるのだろうし、それこそ「御社に骨を埋める」くらいの気持ちで血眼になって就職先を探すのだろう。確かにその気持ちは分かる。分かるんだけども、もう少し肩の力を抜いても良いんじゃないだろうか。

 

何度も述べているように、大卒の3人に1人は就職してから3年以内に仕事を辞める。それに、これから恐らく「年功序列の終身雇用」の労働形態は崩壊していくだろう。そうなった場合、今よりもっと離職率は高くなる。すると、まあまあの割合の人にとって、1つの企業で40年働き続けるという想定が必ずしも適切ではない可能性がある。であれば、就職先にめちゃくちゃ高いハードルを設けるのではなく、大学を卒業してから働く就職先は、あくまでより良い職場を見つけるまでに必要なスキルを習得するための「つなぎ」である、くらいの軽い気持ちで挑んでもいいんじゃないかと思う。「御社に骨を埋める」のではなくむしろ「御社の骨の髄までしゃぶり尽くす」くらいの精神である。当然、そんなことを面接で言えば高確率で落とされるので、あくまで意気込みの話ではあるが。

 

もちろん就活生のほとんどはこんな闘争心にたぎった血気盛んな若者ではないと思う。とりあえずホワイトで安定していて、それなりの収入があれば良いという人も多い。むしろそんな人の場合、「この企業でも大丈夫だろうか……」「自分はこの企業に合っているんだろうか……」という不安に駆られることが多いだろう。しかしそんな不安を持っている人にこそ、この「新卒のうち3人に1人は3年以内に離職している」という圧倒的な現実を伝えてあげたい。要は、イメージと違っていれば辞めればいいし、体質に合わなければ辞めればいいのだ。そうやって仕事を辞めている人も、この日本には意外なほどたくさんいるのだ。こう考えれば、少し楽になるんじゃないだろうか。

 

僕は就活をしていないから、就活に関する直接的で有益なアドバイスをすることは困難だし、僕が何を言おうが「でもお前は就活していないじゃないか」と言われると、何も言い返すことはできない。それでも、僕の身の回りに社会人3年目以内に仕事を辞めている人が意外といることは事実だし、それが全国的に確認される現象であることは、厚生労働省の調査結果という客観的なエビデンスからも明らかである。だから、僕はこれらに基づき、「確かに就活してると悩むと思うけど、意外とみんなすぐに仕事辞めてるし、そんなに深く悩まなくても大丈夫だと思うよ」と声をかけるのだ。

 

さらにいえば、追い込まれている人ほど、視野は狭くなる。そういった状況に陥っている人を見かけたときは、追い込まれていないが故に視野が狭まっていない人が、その広い視野に基づいたアドバイスをするべきだろう。その意味では、就活に悩まされていない大学院生のコメントというのは、意外と役に立つのかもしれないとも思うのだ。

*1:黒が入社1年目の離職率、白が入社2年目の離職率、青が入社3年目の離職率

*2:もちろん、職種や業種によって離職率には差があるし、当然企業によっても離職率は異なる。要は、日本の大卒者全体で見たとき離職率はこうなるということであり、この点に留意していただきたい